グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2005年2月 2日

新GMテッド・トンプソン

「彼にとってはフットボールが全てだ。フットボールを食べ、フットボールを眠り、フットボールを生きる。妻はなく、子供もいない。友人と会うために1年に1回テキサスを旅行するだけ。100%フットボールだ。彼は持てる限りの力をグリーンベイ・パッカーズに注ぎ込むだろう」と親しい友人は証言する。新たにパッカーズのゼネラルマネージャーに就任したテッド・トンプソンについての人物評は、こういったものばかりだ。

テキサス北東部の牧場主の息子としてテッド・トンプソンは育った。父ジミー・トンプソンは、その父の急死のため、大学を諦めて牧場を継ぎ、次第に土地を大きくしてきた。テッドは子供の時は牧草の刈り入れや牛の餌やりを手伝わされたが、一家が近くの街に住まいを移してからは、夏休み以外は手伝わずに済むようになった。時間のできた彼は高校時代、フットボール、バスケ、野球、ゴルフで活躍し、サザンメソジスト大に進むことになった。

「いつでもあの子はとても優しい子で、誰とでも上手くやっていける。誰ともトラブルを起こしたことがない」と父ジミーは言う。父が言うとおり、彼は子供の時から控えめで、礼儀正しくフレンドリーで、話すよりも聞き役に回ることを好む。「私の育て方が厳しすぎたのでなければいいが。私は常識に従ってあの子を育てた。いい子だった」

彼がサザンメソジスト大2年生の時、ディフェンシブコーディネーターだったのが、後にオイラーズで名将となるバム・フィリップスだった。先発アウトサイドLBだったトンプソンは、相手TEの動きをキーとするのではなく、相手バックフィールドを見ることで、次々と好プレーを決めていった。「私は彼をコーチすることをやめた。彼は自分の方法で、しかも正しく、やってのけたんだ。いい選手だったよ」

トンプソンは大学を出るときドラフト指名されず、ヒューストン・オイラーズにドラフト外入団した。ヘッドコーチ兼GMとなっていたバム・フィリップスに誘われたのだ。現役10年間で先発はわずか8試合。彼は主に控えLB、そしてスペシャルチーマーとして、細く長くチームに貢献した。アスレチック能力でもサイズでも劣っていた彼が10年間もプレーできたのは、ハードワークと、頭の良さのおかげだ。

10年でわずか1試合しか欠場しなかった彼のタフネスとともに、彼の"フットボールIQ"のよさを、多くの人が証言している。「ヤツはどのLBが負傷しても、すぐに代わって入り、ちゃんと務めることができた。どのスキームでも、どのディフェンスでも、誰が何をすべきかを、チームの誰よりもよく知っていたと思う。全員のスタント、全員の責任を知り尽くしていた。スペシャルチームでも、誰が何をすべきかを全て知っていた」とバム・フィリップス。

器用なトンプソンは、1980年には緊急時のキッカーまで務めたことがある。同点のPATを蹴る直前になってキッカーがケガで蹴れないと言い出し、フィリップスHCは大慌てでトンプソンをフィールドに送り出さなければならなかった。しかし彼は見事にキックを決め、合計4回のPATを成功させて試合を終えた。地味なキャリアの中で、彼がスポットライトを浴びた数少ない試合だった。

1984年までプレーして現役を退いた時、コーチの道に進みたかったが望んだような仕事がなく、彼はヒューストンで7年間、フィナンシャルプランナーの仕事をした。しかし1992年、パッカーズのロン・ウルフ新GMから声がかかった。オイラーズ時代のチームメイトで大親友のマイク・ラインフェルト(パッカーズやシーホークスのフロントで活躍し、最近でもあちこちのGM候補)がロン・ウルフに推薦してくれたのだ。推薦したラインフェルトはヒヤヒヤしながら親友を見守ったが、十分以上にウルフのお眼鏡にかない、今に至るトンプソンのキャリアがスタートした。

大学を出るときに恋人との結婚を断念し、フットボールのキャリアを追い求めた彼はいまだに独身。スカウトの世界に入ってからはますます仕事漬けだ。ゴルフは上手いが、仕事関係でしか今はあまりする時がない。「フットボール以外の彼の興味? 何もないと私は思うな」と語るのはシーホークスのプロ人事部長ウィル・ルイス。

そんなトンプソンが楽しみにしているのは、毎年7月に休暇を取り、2週間ほど故郷テキサスを訪れることだ。彼は現役を引退して以来毎年かならず、恩師バム・フィリップス元HCの南テキサスの牧場で、何日か過ごすことにしている。親友同士でもある彼らは一緒に牧場の作業をしながら、今でもフットボールの話ばかりしているのだという。「あいつはおしゃべりでは全くない。しかし仕事のことは知り尽くしている。彼ほどフットボールを愛しているやつは他にいないよ」とフィリップスは言う。

カテゴリ : Coach/Front Office