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Reggie White Tribute
グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2004年12月28日
- ホワイトの遺族は、妻サラ、息子ジェレミー(18歳)、娘ジェコイア(16歳)。
- 死因に関して、まだ正式な検死報告は出ていないが、予備的な検死報告によると、呼吸器系の疾患が重度の不整脈を起こしたのではないか、とのこと。睡眠時無呼吸症との関連もありそうだ、と報告書は述べている。また、彼はここ数年、サルコイドーシスという病気を患っており、病巣が肺や心臓にできることも多い病気らしい。
- ボブ・ハーラン社長。「レジーは、このフットボール・フランチャイズを再生させた4人組の1人として、私はいつまでも忘れないだろう。ロン・ウルフ、マイク・ホルムグレン、ブレット・ファーヴ、そしてレジー・ホワイトの4人が、我々をリーグのエリートへと押し上げてくれた。レジーは素晴らしい選手だっただけでなく、偉大なリクルーターでもあった。『ウチには素晴らしい歴史があり、素晴らしいファンがいるのだ』と彼はリーグじゅうにメッセージを送ったのだ」
- 「もう2時間も泣いている」とリロイ・バトラー。
- QBブレット・ファーヴ。「彼はたぶん僕がこれまで見た最高の選手だ。一緒にプレーした中でも、対戦相手としても。彼のおかげでウチのディフェンスはリーグトップになった。たった1プレーで試合の流れを変えてくれたことが、数え切れないほどある。彼のプレーを見ているだけで楽しかった。彼はパッカーズの成功に不可欠な存在だった。レジーがいなければ、スーパーボウル制覇はできなかった。彼がFAとしてパッカーズと契約し、人々のグリーンベイを見る目を変えてくれた。彼は、このフランチャイズがもといた場所に戻るのを助けてくれた・・・頂点にね」
- FBウィリアム・ヘンダーソン。「ブレットは、ここでは偶像視される存在だけど、この建物(ランボーフィールド)を作るのを助けたのはレジーだ。僕にとってはそれは今後も変わらない。僕が95年に入団した時、彼は歓迎してくれて、何も知らないルーキーとしてではなく、まるでベテランのように扱って安心させてくれた。普通はルーキーいじめとか心配するところなのにね。彼は敬意を持って僕を扱ってくれた。どの選手に対しても同じようにしていたよ。彼と一緒にプレーした連中、LSロブ・デイヴィスやRGマルコ・リヴェラたちに電話で連絡をしたんだけど、みんなショックを受けて茫然自失としていた」
- マイク・ホルムグレンはコメントの中で、「私自身、彼のそばにいることで、よりよい人間になることができた」と振り返っている。
- レジー・ホワイト本人は、1年間の(仮)引退期間を経てパンサーズで現役復帰したことを後悔していたようだ、とボブ・ハーラン社長。「"I should have stayed in Green Bay." というのが彼の正確な言葉だった。彼は本当にここを愛してくれていた」
- レジーをグリーンベイに連れてきロン・ウルフ元GM。「彼がどれほどのものを我々にもたらしたか、言葉では言い表せない。あの時、彼はグリーンベイ・パッカーズに自分の運命を賭け、ウチは注目を集めるようになった」
- 1993年に移籍先を選ぶとき、グリーンベイを訪問したホワイトに対して、極めて控えめで率直なアプローチを取ったのが功を奏したと言われている。リムジンではなく、迎えの車は4WDのジープ・ラングラー。奥方への高価なプレゼントもなし。食事は"Red Lobster"。話し合いは地味なオフィスで行われた。本来は、(チャリティ事業を行うため)スラム地区のある大都市を望んでいたホワイトだが、グリーンベイのありのままの姿を見せられ、逆に心を動かしたらしい。もちろんパッカーズとしても財政的にかなり思い切ったオファーをした。レイ・ローズDCがいることも大きかった。ホルムグレンHCは、ホワイトの留守電に有名なメッセージを残した。「レジー、こちらは"神"だ。グリーンベイに来なさい」
- ボブ・ハーラン社長によると、急死したDEレジー・ホワイトの背番号92番を、永久欠番とする計画を進めている、とのこと。現代では、(使える番号がなくなってしまうため)できるだけ永久欠番を作らないように、とのNFL側からの指示が出ている。そのためかDEホワイトの場合も、現状では"Retired Number"(永久欠番)ではなく、"Retired Jersey"という不思議な名称を作って実質永久欠番とし、誰にも92番を付けさせていない。実は、ミネソタ遠征から帰る金曜夜の飛行機の中でも、ハーラン社長とシャーマンHCは、永久欠番セレモニーをいつにするか、話し合ったばかりだとのこと。
- ホワイトの永久欠番セレモニーを行う場合、早ければ来季の開幕戦となりそうだ。今週末のベアーズ戦でどのように彼の功績を讃えるかは、検討中。昨年、トニー・カナデオが亡くなった時には、彼の背番号3のシールを選手全員がヘルメット後部に付けてプレーした。
- まだ来年の殿堂入り資格(引退後5年)をクリアしていないが、特例として1年早く殿堂入りさせるべきか、という議論も出始めている。しかし1年待てば殿堂入りできるし、わざわざそうする必要もないだろう、という声が多い。
- 訃報が伝わったとたんに、彼のメモラビリア関係の価格は急騰しているらしい。