グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2004年7月29日

マーク・ヘイトリー副社長が急死

副GM格としてシャーマンHC/GMを支えてきたマーク・ヘイトリー副社長が、月曜日の夜/火曜日の早朝、自宅で急死した。54歳だった。死因については、今のところ発表されていない。彼は月曜日の夕方に、ロスリーOC、スロウィック新DC、ショッテンハイマー新DBコーチとゴルフコースを回り、その後、食事をして別れたとのこと。ロスリーOCによると、ゴルフ中からわずかに胸に不快感があるようなことを漏らしていたのだという。

オクラホマ州立大でラインバッカーとして活躍したマーク・ヘイトリーは、卒業後すぐからコーチ修業を始めた。いくつかの大学でアシスタントコーチを務めたあと、1984年からNFLでセインツのDBコーチに。1987年にはチーフスでLBコーチ。その後チーフスのフロントに入り、3年間スカウトを務めたあと、プロ人事部長に昇格した。1997にはベアーズに移り実質GM格の人事担当副社長を2001年春まで務めた。ベアーズ低迷の責任を取らされての解任だったが、その秋にはベアーズは地区優勝を果たし、彼の功績が再確認されたこともあった。

2001年5月、シャーマンHCがGMを兼ねるにあたり、多忙を極めるヘッドコーチを人事部門でアシストするため、ヘイトリーが副GM格で招聘された。経験豊富な大物でありながら、気さくな人柄で協調性に富んでいることも招聘の大きな理由だったようだ。「船頭が多いのでは」と懸念されるスタッフ構成ながら、不協和音が全くなく円滑に運営されてきたのは、彼の貢献によるところも大きい。

パッカーズ、ベアーズ、チーフスをはじめ多くの関係者たちが、彼のスカウトとしての優れた手腕とともに、ユーモアに富んだ陽気な人柄を惜しんでいる。「誰か落ち込んだ者がいると、それを察して励ましてくれたものだ。彼はチームの柱石だった。パッカーズのフロントの一番明るい点だった。常に人々への思いやりを忘れなかった。これは我々チームにとって、大きな大きな損失だ。マーク・ヘイトリーのような人物が、これ以上の時間を与えられなかったことがとても残念だ」とロスリーOC。

ドルフィンズのリック・スピールマンGMが、RBダヴェンポートのトレードをめぐってヘイトリーと電話でやりあったのは、つい昨日のことだった。「彼とは、あれこれとやりあったものだ。親友だったし、私の子供の名付け親でもあった。私だけでなく、妻や子供たちにとっても、今日はとてもつらい日だ。私はマークを自分の指導者だと思っていた。シカゴ時代、彼が私をプロ人事部長としてデトロイトから引っ張ってくれたのだ。フットボール・ビジネスに精通していただけでなく、人間的にはもっと素晴らしかった。彼ほど素晴らしいユーモアの持ち主を私は知らない。彼は、何事にも苛立つことはないように見えた。こんにち、私がしていることの多くは、マーク・ヘイトリーのおかげなのだ。彼はフットボールについて教えてくれただけでなく、人々や物事への対処の仕方を教えてくれた」

カテゴリ : Coach/Front Office