グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2004年6月13日

ロンバルディの娘

56歳のスーザン・ロンバルディが初めて人に会う時、相手はたいてい、「もう一度お名前を言っていただけますか?」と聞き返す。「スーザン」 「いえ、もう片方のお名前を」 すると彼女は微笑んで、胸のペンダントを見せるのだ。父ヴィンスの死後、スーパーボウルリングを母が作り変えたペンダント。偉大なヴィンス・ロンバルディHCが身に着けていた、ダイヤがちりばめられた金のリングに、相手の目は釘付けになって動かなくなる。

「父の名前の魔力は、年が経つほどに強くなるようです。死後34年後にこんなふうだとは、誰が想像したでしょう」とスーザンは語る。この日、ウィスコンシン州メノモニー・フォールズで開催されたチャリティ・ゴルフ・トーナメント、第34回ヴィンス・ロンバルディ・ゴルフ・クラシックでも、それは明らかだった。全米でも最も古い部類のこのチャリティー・イベントは、これまでに$7ミリオンものガン研究費用を生み出してきた。

中年以上の人々が、父ヴィンスの名前に尊敬の念を抱くことは、さほど驚きではないとスーザンは言う。彼女自身、父の教え子の選手たちとは今も連絡を取り合っていて、そのことは実感している。「誰もが私に詰め寄ってきて、"お父上がいかに私の人生を変えたか、ご存知ですか!"って言うのよ。面食らってしまいますよ。でも、それより驚くのは、18とか21の若い人たちが、ヴィンス・ロンバルディのことをよく知っていることです。"貴方たちはまだ生まれてもいなかったのに・・・"と言うのですが、きっと彼らの父や祖父がよく知っていて、彼らに教えるのでしょうね」

スーザン・ロンバルディと会って気付くのは、父ヴィンスとよく似ていることだ。ただし、父の有名な歯並びの悪さは、矯正したために残っていはいないが。「ハロウィーンの仮装になると、みんなが私にソフト帽と太い縁のメガネとトレンチコートを着せようとするの。まだ実際にしたことはないけれど、いつかきっとするつもり」とスーザン。父がNYジャイアンツのアシスタントコーチだった時代にニュージャージーで生まれた彼女は、今でもわずかに東部なまりが残っていて、パッカーズのことを"Packahs" と発音する。

今はフロリダ州ジャクソンヴィルに住んでいる彼女だが、「どこの出身か聞かれると、私は誇りを持って、ウィスコンシンのグリーンベイ、と答えるのです。ジャクソンヴィルでもニューヨークでもニュージャージーでもない。ほとんどの思い出は、グリーンベイにあるのですから」

10代の頃の彼女は、必ずしもそこまでの愛情を持ってグリーンベイで暮らしていたわけではない。厳格さで有名なコーチの一人娘として、小さな街で育つのは、容易なことではなかった。「しつけは、本当に、本当に、厳しかった。パッカーズ選手と同じ門限を課せられていました。18歳の時でも、夜11時の門限を絶対守らなければいけなかった」とスーザンは振り返る。しかも学習障害のために勉強が苦手で、学校が大嫌い。かつて高校教師だった父ヴィンスをカリカリさせたものだ。

「私は不肖の娘。兄ヴィンスJr.(弁護士・ミネソタ州議会議員)とは、それぞれ違う生き方をしています。父をとても苛立たせたことはわかっているけれど、大きくなるにつれて、お互いに理解しあえるようになりました。父は私を見ると首を振って、"さあスーザンが来たぞ"と言いましたが、目に入れても痛くないほど愛してくれたことを、私はよく知っています」

反抗的な娘だったスーザンは、門限が過ぎてからこっそり家を抜け出すことも多かった。時たま、バーなどでパッカーズの選手たちと出くわすことがあったが、そんな時は互いに知らん振りをしたものだ。ヴィンスに告げ口されたら困るのは、どちらも同じだからだ。 あるときチームのパーティで、彼女はトイレに行くと言って、フィル・ベングストンDC(ロンバルディの後任HCになる)の娘と一緒にタバコを吸ったことがあった。「すました顔でパーティに戻ると、父が私を見て言うのです。"次にタバコが欲しくなったら、私に言ってくれないかね?" 大きな声で皆に聞こえるように言うものだから、本当に恥ずかしかった」

デートはさらに大きな問題だった。ヴィンス・ロンバルディの玄関をノックして、コーチの娘を連れ出す度胸のある10代の少年は、そうそういるものではない。ようやく父の名前にひるまない相手を見つけ、シカゴ出身のポール・ビッカムという男性と結婚。シカゴ出身なので、父ヴィンスはジョージ・ハラス(ベアーズの創立者・初代HC)にちなんで「ジョージ」と呼んだものだ。15年後に離婚してしまったが、「彼はものすごくガッツがあった。それだけは確かね」とスーザン。

今でも熱心にパッカーズを応援するスーザンは、ヒザが悪くて飛行機も楽ではないが、年に一度はランボーフィールドを訪れる。アップルトンの Paper Valley Hotel 内の Vince Lombardi Steakhouse を兄とともに経営していて、そこはグリーンベイ遠征に来たNFLチームの多くが泊まるホテルでもある。

昨年12月にブレット・ファーヴが父親を亡くしたときは、彼女もファーヴに哀悼の手紙を送ったのだと言う。「こんな風に考えてほしい。貴方の父上と私の父が、空の上から一緒に見下ろしていると。私の父はきっとこう言っていますよ。"くそっ、君の息子のようなQBが私がコーチの時にいてくれたら!"って」

スーザンのリビングルームには、父ヴィンスの油彩の肖像画が飾られている。父なら気に入らなかったようなことをするたびに、彼女は父の肖像画を眺め、絵が少し傾いていることに気が付くのだ。「ちょっと気味が悪いけど、父がまだ私を見ているような気がするの」

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