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2004年5月31日

ドラフト指名選手紹介 5: DTコーリー・ウィリアムズ

 DT コーリー・ウィリアムズ Corey Williams
6巡14位 Arkansas State Senior 192cm 142kg 40yds/5.18秒 23歳 1980年8月17日生

経歴 : アーカンソー州ハーモニーグローヴ出身。高校では、DE、LB、FBに加えてパンターとキッカーも。バスケではオール・ステートに選ばれる活躍。野球ではショート、サード、キャッチャー。陸上では砲丸投げと円盤投げ。アーカンソー州立大に進んで、最初はLBだったが、1年目シーズンの途中からストロングサイドDEに。2年目は逆のウィークサイドDE、3年目からDTとなった。通算14.5サック、27.5ロスタックル。

Strengths : ケガさえなければ、能力は高い。クイックネスがあり、パワフルで、爆発力を活かしたパスラッシュがある。ダブルチーム相手でも割って入ることができる。素早い方向転換でボールキャリアを追う。パワフルなタックラーで、背後からボールを掻き出すのも上手い。広い肩幅など骨格が非常にしっかりしており、まだ15ポンドは増やせそう。ウェイトルームでもハードワーカーで、精神的にはしっかりしている。

Weakness : 過去2シーズンは、重度の足首捻挫などケガが多く、ランストッパーとしてのパワーも、パスラッシャーとしての瞬発力も大幅に制限されたままのプレーを強いられた。下半身の強さはやや物足りない。ランストッパーにはややバルクが不足。ギャップコントロールがイマイチで、アサインメントを守らないことがある。もっと手を上手く使い、パスラッシュ・ムーブを磨く必要がある。

苦難を乗り越えて : 極貧の中で育った彼は、15歳の時に父を肺炎で失い、20歳の時に最愛の母を脳卒中で失った。 さらに、スカウティング・コンバインを目前に控えた今年の2月、ガールフレンドのアンドレアとの間に産まれた娘が、超未熟児のためにわずか数週間でこの世を去った。「あの年で、あれほどのことを乗り越えるのは大変なことだ。よほどの内面の強さがなければならない。それは間違いなく言えるよ。プロでやっていけるだけの内面的な強さを持っている。チームを最優先にすることや、責任を負う、といったことを彼は理解している。つらい経験は、プロでやっていくために必要なたくさんのことを、彼に教えてくれると信じている」とプロ人事部長のレジー・マッケンジー。

ケガ : ほとんどの試合に出場はしているが、ケガを押してプレーしたことが多い。昨年は足首を痛めて専用ブーツを着用して出場。シーズン後の2つのオールスターゲームへの招待も断らざるをえなかった。ケガの多さは確かに心配だが、精神的なタフさは評価できるし、健康ならばもっと質の高いプレーができると期待することもできるだろう。さいわいもうケガは完治し、100%の状態とのこと。

スモールカレッジ : 現スターターのDTクリディアス・ハントは、ディビジョンIIのケンタッキー州立大の出身。「僕もスモール・カレッジの出身だけど、他にも同じような大学から来て成功を収めた選手がいることを聞けば、悪い気はしないよね。どこから来たかではなく、どんなプレーができるかだ」とウィリアムズ。

パッカーズにとって : 3巡指名のワシントンはインサイド専門だが、ウィリアムズはDTだけでなくパワーDEもプレーすることが期待されている。そのようにヴァーサタイルなところも彼の魅力だ。チーム事情を言えば、もうじきジョー・ジョンソンを解雇する予定であり、ドラフトでDEを補強しなかったこともあるので、彼がパワーDEの控えとなってくれればありがたい。ウォコーリーやラリー・スミス、2年目のピーターソンあたりと、控えDT/DEの枠を争うことになりそうだ。

2004年5月30日

プラクティス・スクワッド枠が8人に拡大

これまで5人枠だったプラクティス・スクワッドが、今年から8人枠に拡大されることがオーナー会議で承認された。「中には5人枠さえ使い切らないチームもあるが、我々としては、多くの選手に目を通すために使いたい。選手の能力を見定める方法の一つと考えている。それに、シーズン中にケガ人が何人も出た場合に、プラクティス・スクワッドの選手たちがいることで練習が滞ることなく行える」とプロ人事部長のレジー・マッケンジー。

昨シーズンの場合、パッカーズは総勢10人の選手をプラクティス・スクワッドに出し入れした。

2004年5月29日

ドラフト指名選手紹介 4: P B.J.サンダー

 P B.J.サンダー B.J. Sander
3巡24位 Ohio State Senior 192cm 99kg 40yds/4.9秒 24歳 1980年1月5日生

経歴 : オハイオ州シンシナティ出身。高校ではパンターだけでなくキッカーとしてもプレーし、60ydsのFGを成功させたこともある。オール・オハイオの1stチームに選出。名門オハイオ州立大に進み、2年目の'00年には交代でスターターを務めた。しかし翌年にはケガのためにスターターの座を失い、取り戻したのは2003年。平均43.3yds、ネットでは驚異的な41ydsを記録し、レイ・ガイ賞を受賞。専攻は「フィールドの芝の管理」で、学位を取得済み。すでに24歳で、3月には結婚もしている。

Strengths : 優れたキック力があり、ハングタイム(平均4.88秒)が非常に良い。極めてコントロールが良く、微妙なタッチを必要とする"プーチ・パント"は素晴らしく上手い。サイズがありアスレチック能力に優れている。左利きのため、回転が普通と逆になるので、リターナーにとっては厄介。精神的にタフで、落ち着いている。ウェイトルームでのトレーニングにも熱心。キックオフはやらないが、FGのホルダーはかなり上手いらしい。

Weakness : 2000年に正パンターを務めたあと、2年間その座を失い、2003年に取り戻した。実戦経験がやや不足しているため、テクニック面で不安はある。リリースの速さを磨く必要がある。ラッシュが強烈だと焦って慌てることがある。微妙なコントロールは一級品だが、トップクラスの飛距離が本当にあるのかどうか。

論議の的 : 3巡にトレードアップしてまでパンターを指名したことが論議の的に。「いいパンターだが、3巡はいくらなんでも・・・」という声が一般的で、アンチ・シャーマン派のファンにとっても格好の攻撃材料となっている。あるNFCチームのSTコーチは、「私は3巡でも全く不安は感じない。彼は間違いなく今年最高のパンターだ。ここ数年でも最高だと思う。それに素晴らしいホルダーだ」と評価。しかし、あるNFCチームのGMは、「ウチならそこまで高い順位で獲らないだろう。パンターを3巡で獲ること自体が気に入らないという者もいる。しかし彼らには必要だったわけだし」。 あるAFCチームのGMは、「それがレイ・ガイでない限り、3巡は高すぎる。彼はレイ・ガイじゃない」とバッサリ。あるAFCチームのSTコーチは、「彼は明らかに今年最高のパンターだ。この指名が妥当かどうかは、このポジションをどれだけ重視するかにかかってくるだろう。ウチだったら同じようにしたか?それは疑わしい。しかしウチは彼らほどパンターが必要ではなかった」

指名の経緯 : もともとはビドウェルがFAで移籍したためにパンターが必要となった。 3巡でパンターが指名されるのは'97年のブラッド・メイナード(現CHI)以来。「パンターを欲しがるチームはいくつもあったから、4巡まで待って、他に獲られてしまうのが怖かったのだ」とボナメイゴSTコーチ。あるNFCチームのSTコーチは、「グリーンベイにとっては良い指名だと思う。(寒さや悪天候のために)スタッツが悪くなるから、FAのパンターは、グリーンベイには行きたがらないのだ。だからドラフトで獲らざるをえない。プレッシャーはかかるだろうが、あの選手は非常に落ち着いている」

プレッシャー? : 本人に責任はないが、上記のような論議やファンからの非難も多く、このプレッシャーが本人に悪影響を及ぼさないか? 「プレッシャーがあるとすれば、僕自身の内側から来るものだ。自分のプレーに大きな期待をしているし、チームを助けることができる、と大きな期待をしているからね。僕はただ、フィールドに出て、能力を出し切って仕事をするだけ。時にはシャンクすることもあるだろう。良いプレーが悪いプレーより多いことを願うよ」

パッカーズにとって : ビドウェルと違い、悪天候に強いこともパッカーズ首脳がサンダーに惚れ込んだ理由。3月のオハイオ州立大でのワークアウトの日は、グリーンベイよりも寒く、氷点下で、風も強い日だったらしい。そこで素晴らしいパントを見せたことも高評価の要因になった。ドラフト直後のミニキャンプでは、飛距離自慢のPトラヴィス・ドーシュがホームランと三振を繰り返す中、サンダーはコンスタントなパントを揃えた。また、敵陣でのショートパントでは、絶妙のコントロールを見せている。

2004年5月28日

カーリー・ランボーの生家を発見

グリーンベイ・パッカーズの創立者にして初代ヘッドコーチ、カーリー・ランボーの生家が、熱心なファンの親子の努力によってこのほど発見され、修復されることになった。1868年に建てられたこの家は、パッカーズの歴史にとって重要であるだけでなく、グリーンベイ市にとっても現存する最古の民家の一つであり、大事な歴史の一頁となる。下の写真は、この発見に関する記者会見を水曜日に行ったときの様子だ。(ニュース映像

ケン・ケイルワーツと、17歳の息子ジョンが、今回の発見の功労者だ。昨年の夏、ランボーについての本を読んでいた親子は、ランボーの育った家がケンの職場のすぐ近くだったことを知り、興味を持った。しかし登記所に行って調べてみると、その住所"1205 Cherry Street"は、ランボーが1898年に生まれたときの家ではなく、子供の頃の家だった。彼の出生証明書には住所が記載されていない。そこでグリーンベイ市の公文書を調べていくと、ランボーが生まれた時には、"615 North 12th Street"に住んでいたことが判明した。

ところが、現在のグリーンベイ市には、そのような名前の通りは存在しない。困った2人は、ブラウン郡の図書館員で郷土史家のメアリー・ジェーン・ハーバーの助力を得て、さらに調査を進めていく。そして苦労の末、現在の"Irwin Street"が100年前には"12th Street"と呼ばれていたことを突き止めた。「父と僕は、それがわかるとすぐに、"615 North Irwin Street" に行き、何があるか見てみたんです。すると確かに家があり、本当に古い家だった」と息子ジョンは振り返る。役所に行って調べると、確かにこの二階家は1868年に建てられており、市民名簿から、ランボー家が1898年にここに住んでいたことが確認された。

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しかし、発見した所でこのプロジェクトが終わったわけではない。ケイルワーツ家に加えて、ハナマン、オルソン、ロンクのファミリーが合同で、この家を$90,000ドルで買い取ったのだ。「この家を、建築基準に適合させた上で、現在の位置で保存したい」とルディ・ハナマンは語る。彼らは今後、この家を専門家とともに修復してから売却したいとしている。「この家の外観を修復し、この場所を記念するための額を作る。いずれは、熱心なパッカーズファンか、パッカーズ史に興味のある誰かに売却することを計画している。その利益をどう使うか。そこがこの計画の最良の部分だ。私たちは、グリーンベイの『過去』を、『未来』の助けになるように使うつもりだ」

この家のすぐ向かいに Nicolet小学校がある。彼らグループはこの家の売却益を、この小学校の生徒・教員のための基金にすることを計画している。「この寛大な事業の利益を受けるのに、このNicolet小学校ほどふさわしい学校はないでしょう」とグリーンベイ市の教育長は語っている。

2004年5月26日

RBモーリス・クラレットが敗訴

高卒後3年未満の選手もNFL入りを認められるべき、と訴えていたRBモーリス・クラレット(オハイオ州立大)に対し、連邦巡回控訴裁は、「NFLにはそのような制限を設ける権利がある」と正式に認め、クラレットの敗訴が決まった。もしこの裁判でNFLが敗れた場合、高卒後3年未満の選手のために、補助ドラフトが行われる見込みだったが、けっきょく彼らのNFL入りは来年までお預けとなった。

まず、2月に行われた地方裁では、「NFLがそのような制限を設けるのは反トラスト法に違反している」として、クラレットのNFL入りを認める判決が下された。NFLはしかたなく、「高卒後3年未満の選手もドラフトにエントリーしたい者は申し出よ」と告知し、それに応えてサザン・カリフォルニア大のWRマイク・ウィリアムズ(トップ10指名が確実だった)がエントリー。NFLはまた、一審を覆す望みはあるとして控訴裁に望みを賭けた。それを受けて審理していた連邦控訴裁はドラフト直前になって、「もっと時間が必要」として地裁の判決を延期し、クラレットやウィリアムズたちは、再びドラフトから締め出されてしまった。それでも控訴裁が一審判決を支持すれば、補助ドラフトなどで今年NFL入りすることができたはずだが、今回の敗訴でその望みも絶たれたことになる。

NFL副社長のジェフ・パッシュは、「裁判所の迅速な対応に感謝している。しかし判決は驚くにはあたらない。NFL側の完全勝利と言っていいだろう。NFLの資格規定に対する異議申し立てには、いかなる根拠もないことがはっきりした」と満足の意を表している。

クラレット裁判のとばっちりを受けたのがWRマイク・ウィリアムズ。一審の結果を受けてNFLがドラフトへのエントリーを認めたために彼もエントリーし、結果として来季のNCAAの試合への出場資格を失ってしまったからだ。NCAAの規定では、代理人を雇った時点で、大学の試合への出場資格を失うことになっている。サザン・カリフォルニア大のピート・キャロルHCは、「このような結果に備えて、我々はしばらく準備をしてきた。マイクは、カレッジ・ゲームへの復帰許可をNCAAに求めている。手続きが進行中だが、時間はかかるだろう。NCAAには、この件の特異性を考慮し、復帰の機会を与えてくれると期待している」

2004年5月25日

ドラフト指名選手紹介 3: DTドネル・ワシントン

 DT ドネル・ワシントン Donnell Washington
3巡9位 Clemson Junior 197cm 146kg 40yds/5.0秒 23歳 1981年2月6日生

経歴 : サウスカロライナ州ヒルトンヘッド出身。高校ではDL兼OLとして活躍し、州のトップクラスのDLと評価される。地元のクレムソン大に進み、1年生の時から44タックル、4サックと活躍。2年生からスターターとなり、'02年、'03年と全試合に先発して50タックル以上を記録する。ロスタックルは3年間で23回。

Strengths : 分厚い体型で、理想的なサイズ。スピードとクイックネスがあり、バランスやアジリティにも優れている。上体が強く、爆発的な瞬発力でペネトレートする。手の使い方も上手い。横方向の動きも良く、スムーズに方向転換ができる。タックルはしっかりしている。ボールキャリアーの背後からのパスートもパワフルで速い。複数のブロッカーをがっちり受け止め、持ちこたえる優れたラン・スタッファー。しかしやはりノーズタックルよりも、瞬発力を活かした"3テクニック"の方が向いていると見られている。

Weakness : 判断力や嗅覚に難があり、この点は向上の余地が大きい。必ずしも全プレーで力を出し切らないことがある。身体能力は一級品だが、work ethicに問題がある。試合の後半にバテてしまいやすく、体重のコントロールが必要。ダブルチームされたりして最初の動きがうまくいかないと、あきらめてしまう傾向がある。Wonderlicテストがわずか8点というのは、頭脳の面で心配。

メンタル面 : 上記参照。恵まれた身体能力を活かしてプロで成功できるかどうかは、メンタル面しだいという見方が圧倒的。パッカーズとしては、十分に調査はしたとヘイトリー副社長。「一度のワークアウトだけ見て決めたわけじゃない。ジェトロ・フランクリンDLコーチが彼を訪問して、ずいぶん長い時間話し合った。我々も長いこと一緒に過ごした。彼には大きな可能性がある」

誓いの言葉 : 「やれハードワーカーじゃないだの、怠け者だの、さんざん聞かされてきた。そんな話にはもううんざりだ。そういうこと全てが僕にとってはモーティベーションの元さ。入団にあたって、きっと体が出来ていないだろう、と予想してる人が多かっただろうけど、僕はちゃんと体を作ってきた。昨シーズンのあと、僕は栄養士と一緒に減量をしてきた。批判的な連中の言うことが間違ってると証明するためにハードに頑張ってきたんだ。僕は今では全くの別人になった。多くの人が間違ってることを証明してやるつもりだ」

体重管理 : 「もう1年大学に残った方がいい」というクレムソン大のコーチたちのアドバイスを振り切ってアーリー・エントリー。オークランドに移って個人トレーナーを雇い、減量しつつワークアウトを続けた。その甲斐あって、キャンパスでの"Pro Day"では、コンバインよりも大幅に数字が良くなった。シーズン終了後に350ポンドまで膨れ上がっていた体重が、今は320ポンド台になっている。

パッカーズにとって : DEが必要と言われながら、今年も2人DTを指名したことは、昨年の3巡指名DTピーターソンと5巡指名DTジェームズ・リーが、(少なくとも1年目は)期待外れだったことの表れだろう。ギルバート・ブラウンを解雇し、ロッド・ウォーカーとも再契約しなかったため、ワシントンとリーがNTグレイディ・ジャクソンの控えとなる。

2004年5月24日

ドラフト指名選手紹介 2: CBジョーイ・トーマス

 CB ジョーイ・トーマス Joey Thomas
3巡7位 Montana State Senior 183cm 88kg 40yds/4.44秒 23歳 1980年8月29日生

経歴 : ワシントン州出身。高校ではQB兼DBとして活躍。オールステートQBに2回選ばれた。最初は故郷に近いワシントン大に入学したが、コーチの(CBのはずが、RBやSとして使おうとした)起用法が「約束と違う」として、1年目の夏にモンタナ州立大に移った。プレスカバレッジを主体とするディフェンス方針が彼に合っていたこともあり、転入してすぐから大活躍。前年にはシーズン全敗だったチームを強豪に押し上げた。

Strengths : ディビジョンI-AAでは最高のシャットダウン・コーナーとして、圧倒的な力を発揮した。サイズとスピードのバランスがよく、ポテンシャルは大きい。体型はややスリムだが、筋肉はしっかりついている。腕と脚が長い。柔軟でスムーズな動きで、スピードのあるWRもタイトにカバーできる。QBに背を向けたプレーでも、空中のボールの位置がわかる。手が長く、ボール・スキルに優れている。ジャンプ能力は水準以上で、タイミングよくジャンプして高い位置でボールにチャレンジする。ラン・サポートも非常にアグレッシブで、ブロッカーをうまくかわす。フィジカルなタックラー。

Weakness : (レベルの低い)ディビジョンI-AAでやっていたため、テクニック面で粗削りな点が多い。アグレッシブすぎるのか、ギャンブルに出て裏目に出ることがある。プレーアクションにひっかかりやすい。手でキャッチするのがあまり上手くない。2002年にヒザの半月板を損傷したことがある。下記のようなメンタル面の懸念をマイナス材料とするチームもあった。2巡指名クラスとも言われた彼が3巡で残っていたのはそのせいかも。

メンタル面 : マジメで優等生タイプのCBキャロルとは対照的に、トーマスは少し傲慢なタイプと言われている。そのあたりを懸念するチームもあったが、「自信満々なやつだが、相手への敬意を欠くようなタイプじゃない」というのがパッカーズの見方。競争心が非常に強く、強敵との対戦になるほど真価を発揮する。

コーチの言葉 : モンタナ州立大のマイク・クレイマーHCのドラフト前の発言。「人間関係を重視し、人間性を理解するチームに指名されたら、ジョーイ・トーマスの可能性は無限大だ。しかし、単に戦術面ばかりのチームに彼が入ったら、両者にとって良くない結果になるかもしれない。しかしおそらく、彼にうってつけのチームに指名されるだろうと思う。指名するチームは、彼の人間性をきちんと評価し、理解した上でドラフトするだろうからだ」

small-college player : ドラフト前には、ディビジョンI-AAでのレベルを疑問視する声もあったが、本人はモンタナ州立大に移ったことがかえってよかったのだと断言する。「僕は、この大学に来てすごくよかった。素晴らしいコーチングを受けることができたし、"Big Sky"はいいカンファレンスだ。モンタナ州立大ボブキャッツの一員で幸せだ。とても誇りに思っている」

パッカーズにとって : マッケンジー問題の影響で、2人続けてのCB指名。従来の方針とは異なり、小柄なCBキャロルを1巡指名したパッカーズだが、このトーマスは十分なサイズがある。アグレッシブなプレスカバレッジを得意とするのが共通点で、これはパッカーズのディフェンス方針とぴったり一致する。5年前、3巡指名ルーキーだったマッケンジーは1年目にスターターの座を勝ち取った。今年のトーマスも、キャロルや先輩たちとスターターの座を争うことになる。ドラフト直後のミニキャンプでは、キャロルよりもいいプレーを見せたとの評判。

2004年5月23日

QBティム・カウチが苦情申し立て

QBティム・カウチが、ブラウンズの契約下にあるにも関わらずブラウンズの練習に参加を許されないことに対して、苦情の申し立てをした。

この春、大幅減俸を受け入れないカウチに愛想を尽かしたブラウンズはQBガルシアを獲得し、カウチはトレードまたは6月1日以降に解雇されることが決定的となった。そこでパッカーズが獲得交渉に乗り出した。すでにカウチのロッカーは片付けられ、練習への参加も許されない。それなのに、ブッチ・デイヴィスHCは最近になって(おそらくトレード交渉の上の戦術として)、「残留させるかも」と発言している。そこでカウチとしては、「本気で残留させるつもりなら、チームの一員としての扱いをしてくれ」と言いたいのだろう。

パッカーズとカウチとの交渉は、パッカーズが2年契約をオファーし、それをカウチがどうしても受け入れない、というところでストップしてしまっている。そのオファーは今でも有効で、カウチが受け入れさえすればすぐにでもトレード交渉はまとまるはずだ。待ちくたびれたパッカーズが新たに期限日を設定して、カウチに決断を迫るのではないか、という噂もある。

2004年5月21日

Executive committeeに新メンバー

過去11年にわたってパッカーズのExecutive Committeeの顔ぶれは変ることがなかったが、ジム・テンプ(元パッカーズ選手)が、内規で定められた70歳で退任し、エネルギー関連企業WPS Resources社の社長兼CEOのラリー・ウェイアーズがCommitteeに加わることになった。長年にわたって会計担当を務めてきたジョン・アンダーウッドも来年には70歳のため、ウェイアーズはその後任となるべく、アンダーウッドと共に1年間仕事をして準備するとのこと。

Executive Committee(経営委員会または執行委員会?)は7人のメンバーで構成され、ボブ・ハーラン社長を中心として、非営利団体グリーンベイ・パッカーズの、特にビジネス面での最高意思決定機関の役割を果たしている。

Executive Committee の下に、45人からなる Board of Directors(理事会?)があり、Executive Committeeの7人はここから選ばれている。理事は、業種は様々だがウィスコンシンの地元財界の人々が多く、他には元選手のウィリー・デイヴィス、MLBコミッショナーのバド・セリグ(ブリュワーズの実質オーナー)、ブラウン郡の判事、大学の総長なども名前を連ねている。任期は3年で、3分の1の15人ずつが毎年夏の株主総会で改選される。さほど実権はなく、Executive Committeeの決めたことを承認するのが主な仕事らしい。

Executive Committee も Board of Directors も球団社長以外は無給である。

かつての名HBトニー・カナデオ(昨年の死亡記事はこちら)は1958年から1993年までExecutive Committeeのメンバーで、ヴィンス・ロンバルディの採用にも貢献したことがある。そして元DEジム・テンプ(NFL引退後は保険会社に勤め副社長にまでなった)がカナデオの後任となり、今年まで務めてきた。しかしテンプの退任により、50年ぶりに Committee から元パッカーズ選手が消えることになる。50年前の1954年も、わずか1年だけ空白があっただけなので、実質的に球団史上初めて元選手のいないExecutive Committeeということになりそうだ。

2004年5月20日

CBマッケンジーの新代理人が決まる

先日、ブライアン・パーカーがCBマイク・マッケンジーの代理人を降りたが、後任は大物のドリュー・ローゼンハウスに決定した。「すでにヘイトリー副社長とブラント交渉担当と話をし、トレード先のチームと話し合う許可をもらってある。トレード条件として、1巡指名権や、それに見合った選手をパッカーズが受け取れるかどうか、探ってみるつもりだ。すぐにでも交渉を始める」とローゼンハウス。

マッケンジーが5年間で5人も代理人を交代させたことについては、「今の私の関心は、三者にとって実りあるトレードを合意に持っていくことだけだ。私はパッカーズとも、ブラント交渉担当とも良好な関係を保っているし、そのことは交渉に役立つと考えている」とローゼンハウス。 有力選手を多く抱え、今春もRBクリントン・ポーティスとCBチャンプ・ベイリーの大型トレードを成功させた実績のあるローゼンハウスだが、マッケンジー移籍への道のりは険しい。

第一に、パッカーズには悪い条件を飲んでまでトレードする必要が今はないことだ。悪い前例を作らないためにも無茶な要求は受け入れたくないパッカーズは、そのためにCBをドラフト上位で2人も指名し、「なんならホールドアウトしてくれて構わない」という態勢を固めつつある。そのため、マッケンジーの側が骨を折って、パッカーズが納得するような条件を提示するチームを見つけてこなければならない。第二の障害は、トレード先のチームと、新たな高額契約を結ぶのがマッケンジーの希望であること。

「トレード不成立の場合、マッケンジーが諦めてパッカーズに合流する可能性はあるのか」 という質問に対しては、ローゼンハウスはコメントを避けた。

QBコリンズが訪問をキャンセル

火曜日から水曜日にかけてパッカーズを訪問する予定だったQBケリー・コリンズが、直前になって訪問をキャンセルした。代理人の事務所は「スケジュール上の問題のため」と説明しているが、情報筋によると、本人の気が変ったらしい。

2004年5月19日

QBケリー・コリンズがパッカーズ訪問へ

Wisconsin State Journal紙によると、元ジャイアンツのQBケリー・コリンズが水曜日にパッカーズを訪問の予定とのこと。パッカーズはQBティム・カウチ獲得交渉が行き詰まっているため、先日のデイモン・ヒュアードに続いて、コリンズも控えQBの候補に加えたことになる。しかし、QBとして脂の乗り切った31歳のコリンズが、最低1年は先発の見込みのないチームを本気で希望するとは考えにくく、またパッカーズ側の用意できるサラリーで満足してくれるとも考えにくい。

2004年5月18日

Tribute to Gilbert Brown

この日曜日、ギルバート・ブラウンの焼肉パーティに、彼の親族、友人、チームメイト、ファンなど200人以上の人々が集まった。このパーティは慈善団体"My Brother's Keeper"の募金集めも兼ねている。人々は、ついにパッカーズを去ることになったギルバートの愉快な思い出を語り合い、さながらエピソード披露大会のようになった。

親しい友人の元DTサンタナ・ドットソンは、もちろんスーパーボウル制覇の時の相棒でもある。今回は都合により、ビデオメールでの参加となった。ギルバートが、ドットソンとLBウェイン・シモンズ(故人)を練習フィールドまで乗せて行こう、と初めて申し出た時のこと。「ギルバートは黒のフォード・トーラスに、まるで靴ベラを使って押し込むみたいにして、運転席だけでなく助手席にまで自分の体を押し込んだ。ウェインと僕は顔を見合わせて、"俺たちはいったいどこに乗るんだ?"って感じだった。けっきょく僕たちはトランクに乗って行った」 

同じくサンタナ・ドットソン。「僕が夜おそくにランボーフィールドに戻った時のこと。ロッカールームは空っぽなんだが、サウナの方から、うなり声が聞こえてくる。恐る恐る近づいてみると、ギルバートがサウナの真ん中でエクササイズ・バイクを漕いでいるところだった。実はその翌日が体重測定の日だったんだ」

元DEレジー・ホワイトもビデオメールで、可愛い後輩を讃える言葉を送ってきた。それを見終えたギルバートがひとこと。「レジー・ホワイト、俺が恐れたただ一人の男」

ラジオ解説のラリー・マッカレンは、ロードゲームの時にはチームのチャーター機に同乗する。その時のエピソード。「私の何列か後ろにブレット・ファーヴがいて、いつものようにクロスワードパズルをやっていた。静かな機内で突然、"ミシシッピのスペルは?"とブレットが大声を出した。するとギルバートは、"河の方か、州の方かどっちだ"」

同じくラリー・マッカレン。「我々が飛行機に乗り込んでから、バスのドライバーが慌てて、翼に接触してしまうという事故があった。その揺れが収まらないうちにギルバートが言った。"これが離陸する前でラッキーだった"」

パーティの最後に、ギルバートは涙ながらに母に感謝するスピーチをしたあと、ファンたちにこう呼びかけて話を終えた。「もしマイク・シャーマンHCに街でばったり出会うようなことがあったら、こう言ってほしい。 "ギルバートは壁にかかった消火器のようなものだ。緊急の時にはガラスを割って取り出してくれ"ってね」

2004年5月17日

バド・リー記者とパッカーズの50年

Milwaukee Journal Sentinel紙のコラムニストのBud Lea氏が、パッカーズを担当して50周年になったのを記念して回顧録的なコラムを書いています。あまりに長いので一部省略になりますが、おつきあいください。

50年前。 MLBのブレーブスがボストンからミルウォーキーに移転してくるのに合わせて、Milwaukee Sentinel紙はスポーツ部門を拡張することになった。当時、まち最大の話題はそのブレーブスのことであり、朝刊紙Sentinelも夕刊紙Journalも、多くの人員をそちらに注ぎ込んでいた。

私はまだ下っ端で、メジャーリーグに加わったような大きな街で仕事ができるだけで嬉しかった。Sentinel紙のスポーツ・デスクに午後4時から深夜1時まで張り付いて、ブレーブスに関する、ライターやコラムニストの記事を編集するのが仕事だった。 この50年代前半は、まだプロよりもカレッジフットボールの方が人気があり、52年にローズボウルに出たばかりのウィスコンシン大が、記者たちの人気部署だった。この時期はマーケット大もなかなか強かった。

パッカーズ? '53年には2勝9敗1分の体たらくで、ジーン・ロンザーニHCが首になったところだった。当時は、ホーム6試合のうち3試合をグリーンベイの旧シティ・スタジアムで、3試合をミルウォーキーの新しいカウンティ・スタジアムで行っていた。 パッカーズは人気部署ではなく、じっさい誰も担当したがらなかった。'54年の夏の日、スポーツ部の編集長ロイド・ラーソンが私をオフィスに呼んだ。「パッカーズの方に手を貸してほしいと思っているのだ」

彼のこの言葉が、私の運命を決めた。この話し合いが、自分の人生を方向付けてしまうことになるとは、その時は思いもしなかった。私は文字通りあたふたして、まず私にとって最初の車、ビュイック・スペシャルを買った。$2,263ドル。グリーンベイまで通う足が必要だったからだ。

私は、Sentinel紙スポーツ部の中で、パッカーズに詳しい数少ないスタッフだった。グリーンベイで生まれ育ち、父にはよくシティ・スタジアムに連れて行ってもらったものだ。ドン・ハトソン、アーニー・ハーバー、クラーク・ヒンクル、トニー・カナデオなど、最高の選手たちを見て育った。 そして'54年に私がパッカーズを担当することになった時、自分はこの新聞で最高の部署を与えられたと思った。グリーンベイ出身の自分が、州最大の新聞で、一番好きなチームを担当できるのだから。

40年前。 パッカーズはこの新聞で一番の人気部署になっていた。ヴィンス・ロンバルディはチームを強豪に育て上げ、グリーンベイでもミルウォーキーでも観客動員記録を塗り替えていた。ブレーブスは観客動員が振るわないためアトランタへの移転を検討。ウィスコンシン大は弱くなり始めていた。

この'64年の最大の話題は、コミッショナーのピート・ロゼールがパッカーズのHBポール・ホーナングとライオンズのアレックス・カラスの出場停止処分を1年で解除したことだった。どちらもフットボールの試合で賭けをしたという罪だった。

ホーナングがリーグから一時追放された日、私はロンバルディHCのコメントを取ろうと一日中電話をかけたが、つかまらなかった。ところがそのころ、私の妻(同新聞に務め、女性会議の取材をしていた)は、たまたまパッカーズのオフィスに立ち寄り、ロンバルディに会っていたのだ。私は全く知らなかった。翌日ようやくロンバルディと連絡が取れたとき、ロンバルディは「君がなぜそんなに怒っているのかわからんよ。昨日は君の奥さんと昼食を食べたんだ」

30年前。 ダン・デヴァインHCが6勝8敗シーズンのあとで辞任した。しかし彼はバート・スターHCやフォレスト・グレッグHCやリンディ・インファンテHCにできなかったことをした。72年、10勝4敗で地区優勝に導いたのだ。しかしその功績も、QBジョン・ハドルを獲得したトレードの件で、すべてが台無しになった。 34歳のQBジョン・ハドルをラムズから獲得するために、1巡を2つ、2巡を2つ、そして3巡、合計5つものドラフト上位指名権を譲ってしまった。グリーンベイ史上、いやNFL史上でも最も不均衡な、馬鹿げたトレードとして、よく知られているところだ。

20年前。 私も年を取り、自分が取材した選手たちがヘッドコーチとなるような時代になった。フォレスト・グレッグHCは過去24年間で最悪の4勝12敗という成績で、'87年限りで辞任。誰にもひとことも言わずにチームを去り、母校サザンメソジスト大に戻って行った。

「その相手について良いことを書けないようなら、何も書くべきじゃない」と、よく母に言われたものだ。しかし母は、ジェームズ・ロフトンやモッシー・ケイド、チャールズ・マーティンに会ったことはなかったはずだ。ロフトンとケイドは性的暴行で起訴され(ロフトンは後に無罪)、マーティンもバーで女性を相手にトラブルを起こした。

10年前。 パッカーズは、プライドとチャンピオンシップを取り戻す途上だった。ロン・ウルフGMとマイク・ホルムグレンHCのリーダーシップの下で、チームはまとまり、3年連続勝ち越しを続けていた。

(ミルウォーキーでのホームゲームは1994年限りのため) ミルウォーキーでの最後の試合、25歳のブレット・ファーヴはファルコンズ相手に、信じられないような4点差の逆転勝利を収めた。終了14秒前、彼がエンドゾーンに体ごと飛び込んだとき、(2001年に取り壊されることになる)古ぼけたカウンティ・スタジアムは、かつてなかったような爆発的な興奮に包まれた。

ブレット・ファーヴの取材をできるのは何という喜びだろう。

最近はプレス席に座っているのもちょっと変な感じがする。まわりを見回し、若い記者連中の格好を見て思う。「このチンピラたちは何だ?」 でも実際は向こうの方が、「あの時代遅れのジジイは何だ?」と思っているに違いない、と気が付いた。だから、私は座って仕事を続け、口を閉じて、自分の幸運を数えるのだ。これまで50年間もパッカーズの仕事をできた幸運を、そして今も続けていられることの幸運を。

2004年5月16日

Sマーカス・アンダーソン

去年の今ごろは「先発はアンダーソンで決まり」というもっぱらの評判だった。しかし1年目の活躍で慢心したアンダーソンは、勉強を怠り、ヤマ勘に頼った雑なプレーで首脳陣の信頼を失い、先発の座から転げ落ちてしまった。 終盤にはSエドワーズのケガのために6試合先発させてもらったものの、信頼を取り戻せたわけでは決してない。今オフ、パッカーズ首脳がセーフティ補強を最優先課題とし、Sマーク・ローマンを獲得したのがその証拠だ。「これで先発はローマンに決まり」と言われているが、アンダーソンにそのつもりはないようだ。

「自分がスターターのつもりでやっている。去年の僕はまだ精神的に未熟だった。アントワン(エドワーズ)との競争のことばかり考えてしまい、自分のことがおろそかになってしまった。今年はもっと上のレベルに引き上げたい。ライバルのローマンのことではなく、どうしたらマーカス・アンダーソンが成長できるかを考えている」

「チームがローマンと契約した時も、特に落ち込むようなことはなかった。セーフティ陣はデプスを必要としていたから、そのような選手を獲得したんだ。君たちメディアは、ローマンの新加入すなわちアンダーソンの終わり、などとすぐに決め付けるが、僕はまったくそうは思わない。これはバトルなんだ」とアンダーソン。ショッテンハイマーDBコーチも、「キャンプでローマンが1stチームでプレーする機会は必ずあるはずだが、それで最終決定というわけじゃない。競争はずっと続いていく」と語っている。

先輩のSダレン・シャーパーは、「僕も、1年目にいくつかビッグプレーを決めて天狗になってしまい、2年目はすごいスランプだった。アンダーソンだってきっとこれから良くなるはずだ」と弁護する。昨年の、エドワーズとアンダーソンのスターター争いは最後まで低レベルなままだった。しかし、アンダーソンが今年ほんとうに成長してくれば、どちらがスターター争いを制するにせよ、チームにとって大きなプラスになるのは間違いない。

2004年5月15日

WRジャヴォン・ウォーカー: エリートWRへの道

今オフのWRジャヴォン・ウォーカーは、2月に足首と肩の手術を終えた直後から、アリゾナ州フェニックスに腰を落ち着け、有名トレーナーのブレット・フィッシャーの元でトレーニングを続けている。オフとは名ばかりで、朝の7時半から午前中いっぱい、さまざまなワークアウトやエクササイズで予定はびっしりと詰まっている。「午前のトレーニングを終えるとへとへとで、もう家に帰って眠りたくなる。でも、キツい生活の値打ちはあるはずだ」

2002年、ルーキーだったWRウォーカーはプレーが不安定で落球も多かった。しかしプロ2年目の昨季後半になって、彼のプレーは飛躍的に良くなった。終盤の6試合だけで17回400yds、平均23.53ydsの活躍で、ファーヴのフェイバリット・ターゲットに成長。たとえカバーされていても"ジャンプボール"を競り勝ってくれるため、ファーヴが思い切ったロングパスを投げるようになった。彼がこれほどWRを信頼するのは、久しく見られなかったことだ。

「ディープボールが多いほど、ビッグプレーのチャンスが増える。そうなればオフェンス全体が良くなる。去年、ウチのラン攻撃が強力なのはよく知られていたけど、ロングパスの脅威が加われば、相手にとっては止めるのが本当に難しくなるからね」とウォーカーは語る。「ジャヴォンは去年ものすごく進歩した。我々に必要だったディープスレットになってくれた。本当に成長したね」とWRファーガソン。

一般に、WRは3年目あたりで大きな飛躍を遂げる選手が多い。昨季後半の活躍から、パッカーズ首脳も当然それを期待している。「彼にはリーグ最高クラスのWRへと成長できる力がある。そのためには一歩ずつ着実に成長を続けてほしい。メンタル的にも、その準備はできていると私は思う。この場合の"メンタル"と言うのは、フットボールに取り組む姿勢や、アグレッシブなプレーのことだ。すでに昨年の終わりごろには、彼にはそのような心構えができていたと思う」とロスリーOCも高く評価する。

「このリーグにたどりつくだけで満足してしまう選手も多い。でも僕は、"OK、NFLの一員になれた。でも、自分のやりたいのはここから先だ"というふうに考えてる。だから、僕は今年フェニックスにいるんだ。素晴らしい選手になりたい。プロボウラーになりたい。そのためには、一年中ハードワークを続けなければならない」

2004年5月14日

QBティム・カウチ問題に進展なし

水曜日にQBデイモン・ヒュアードがパッカーズを訪問した。互いの感触は良かったようだが、代理人によると、まだ契約についての話し合いはないとのこと。やはり、パッカーズにとってはまだQBティム・カウチが本命なのだ。

カウチのトレード交渉が行き詰まっている原因は、ブラウンズとのトレード条件(おそらくドラフト5巡か6巡)ではなく、カウチとの新たな契約の問題だ。パッカーズは2年契約をオファーしている。カウチ本人としても、1年間ファーヴの控えを務めることは構わないが、2年間もベンチに座っていたくはない。ファーヴが来春引退するとは限らない以上、どこか他でスターターになるチャンスができた時のために、1年契約にしておきたい、というのが本音。Cleveland Plain Dealer紙によると、「2年契約にするなら、2年目のサラリーをスターター級の額にしてくれ」とカウチ側は要求しているとのこと。

2004年5月13日

ドラフト指名選手紹介 1: CBアマド・キャロル

 CB アマド・キャロル Ahmad Carroll
1巡25位 Arkansas Junior 177cm 87kg 40yds/4.34秒 20歳 1983年8月4日生

経歴 : ジョージア州アトランタ出身。高校ではシーズン70タックルを挙げて全米トップクラスのDBと評価される。陸上の100mでは10.41秒で州のチャンピオン。アーカンソー大では1年目の途中から先発CBに定着。3年間で36試合出場、29試合先発して通算140タックル、4INT。陸上の短距離でもオールアメリカンに選ばれる活躍で、60m6.69秒はアーカンソー大記録。まだ20歳。

Strengths : 40yds走で4.26秒を記録したことがあり、今年のドラフトで最速の選手の1人。直線だけでなく柔軟に動くことができ、あまりスピードを落とさず方向転換できる。加速が鋭く、たとえ離されても追いつくスピードとクイックネスがある。身長は低いが、がっちりしていて195ポンドもある。手が長い。フィジカルで、スクリメージ近くにセットしてのアグレッシブなプレスカバレッジを得意とする。ランサポートでも手を抜かず最後まで精力的に頑張る。コンバインでの垂直跳びはCB中トップの41インチ。リターナー経験はないが、カバーチームの"Gunner"として素晴らしいプレーをする。

Weakness : 身長が低い。未熟な点が多く、一人前になるまで時間がかかるかもしれない。ボールに対してのプレーが悪く、レシーバーと併走中にボールの位置を見つけられないことがある。キャッチが上手くないのか、インターセプトのチャンスを逃すことが多い。ギャンブル的なプレーが裏目に出てビッグプレーを許すことがある。ハードヒットは好きだが、タックルミスを減らす必要がある。粗削りな面が多いのは、陸上競技に参加するため、春の練習にあまり出られなかった影響かもしれない。

メンタル面 : とてもマジメで、非常にしっかりした"Work ethic"が身についている。人格的には申し分ない。自信を持ってプレーし、ミスしても切り替えが早い。良識があり、きちんとした受け答えができる。

指名の経緯 : もともとの層の薄さに加え、マッケンジー問題のために、パッカーズがCBを上位指名するのは確実だった。しかもビルズが1巡22位にトレードアップしてQBロスマンを指名したため、今年もパッカーズの1巡QB指名は消えた。1巡指名のキャロルか、3巡指名のCBジョーイ・トーマスが1年目からスターターになれるようなら、それだけで今年のドラフトの目標の半分は達成されたようなものだ。

パッカーズにとって : 即先発が無理な場合でも、1巡指名選手なら3番手CB/ニッケルバックの座は確保してほしいところ。キャロルもトーマスも、ゾーンよりもプレスカバレッジの経験が豊富でバンプ&ランが得意、というのもチーム方針に適っている。「小さいCBは獲らない」というのはロン・ウルフGM時代からの方針だが、キャロル指名で久々にそれが覆ったことになる。「背は低いが、がっちりしてフィジカルだから目をつぶろう」という例外扱いなのか、エドワーズやバウ・ジューのようなどっちつかずなCB/Sに懲りたための方針転換なのか。チーム首脳は、トップクラスのジャンプ力と手の長さで、身長の低さは補えると考えている。

etc. : 3人兄弟の末っ子。ニックネームは"Batman"。子供のころ、フットボールが好きでなく「オフサイドを連発したら外してくれるかも」と思い、スナップ前に相手センターをピョンと飛び越えたことから付いたあだ名らしい。両親とも30年以上にわたってノースウェストコースト航空の客室乗務員で、日本への航路に乗務することも多いとか。社員の特権を使って、息子のほとんどの試合に応援に駆けつける。安定した中流家庭で、マジメな両親にマジメに躾けられているという印象。

2004年5月11日

母校のフィールドが"Brett Favre Field"に

QBブレット・ファーヴの母校Hancock North Central高校が、フットボール・フィールドを"Brett Favre Field"と改名し、同時に実物大のファーヴのブロンズ像が置かれることになった。土曜日に行われたセレモニーには、地元の英雄を讃えようと1000人もの人々が集まった。ファーヴの家族を始めとして、地元政治家、学校関係者、母校サザンミシシッピ大HCのジェフ・バウアー、ミシシッピ州立大HCのシルヴェスター・クルーム(昨季までパッカーズのRBコーチ)などが顔を揃えた。

壇上に立ったファーヴは、「本当に名誉なことです。このようなことをしてもらえて、少し当惑し、謙虚な気持ちになっています。私は常に、自分の大好きなことを、力の限りにやってきました。そのような人はたくさんいますが、このような栄誉を与えられるわけではありません。自分の身に起きたことに感謝しています」と控えめなスピーチを行った。

この晴れの日に、ただ1人欠けているのは、昨年暮に亡くなったファーヴの父アーヴィンだ。彼は長年にわたってこの高校でコーチをしていた。現在のヘッドコーチ、ロッキー・ゴーディンも、アーヴィンの教え子の1人。自分がカレッジに進めたのは、アーヴィンの強い推薦があったからなのだとゴーディンは言う。「私は、"Big Irv"がしてくれたことに感謝し、彼の自慢になるよう頑張ってきた」

ファーヴ。「昨年暮に父を亡くしてから、一日たりとも父を思い出さない日はない。今日だって、何かの相談に電話をかけそうになった。父がいなければ今の僕はなかった。父は僕の試合全てを見に来てくれた。これからはそれもできないけど、心の中に生きている」

ファーヴの兄スコット。「ブレットの応援に来ていた時、3TD差をつけて勝っていたから、僕はスタンドから下りて、"ブレットにもっと投げさせたら?"と親父に伝えに行ったんだ。そしたら、"さっさとスタンドに戻ってママと一緒に見てろ。コーチしてるのは俺だ"って言われた」

ファーヴの中学でのヘッドコーチ、ジョー・ショウは、ファーヴ在籍中は30勝2敗の驚異的な数字を残した。「偉大なアスリートは、下手なコーチングをも乗り越える、という好例だろう」

サザン・ミシシッピ大のジェフ・バウアーHC。「ブレットほど本能的な選手を見たことがない。彼はフットボールをするために生まれてきた。そしてそれは、アーヴィン・ファーヴのおかげでもある」

ミシシッピ州立大のシルヴェスター・クルームHC。「私にとっては、ブレットこそ男の中の男だ。彼は全ての練習、全てのゲームの、全てのプレーで、全力を出す。彼を相手にする時は、恐ろしかったものだ。味方になって、その心配がなくなった」

式典の司会をしたロビン・ロバーツもこの近くの出身で、現在はABC放送の"Good Morning, America"のキャスターを務めている。「私が"NFL Prime Time"を担当していた頃は、パッカーズのハイライトの扱いをめぐって、いつも同僚のクリス・バーマンと争ったものでした。それは、同郷のブレット・ファーヴがいたからです。私たちミシシッピアンは、批判されたり、ジョークの対象にされることも多いけれど、ブレット・ファーヴのような人がいてくれるおかげで、私たちは誇りを持って、"私はミシシッピ出身だ"と言えるのです」

2004年5月10日

After "Redshirt" Year

CBクリス・ジョンソン、WRカール・フォード、DTジェームズ・リーの3選手は、ルーキーシーズンをケガのためにインジャリー・リザーブで過ごさなければならなかった。「私はカレッジのコーチを17年もやっていたから、彼らの1年目は"レッドシャツ"だったのだと思うようにしている。きっと2年目から活躍してくれるだろう」とシャーマンHC。"レッドシャツ"とは、いわば練習生のことで、大学では1年目を練習生扱いで過ごし、2年目から4シーズンプレーする選手が多い。

CBクリス・ジョンソン。 7巡指名ながら非常に評価が高く、キャンプでは3番手CBの座を窺うところまで行きながら、練習中にヒザの膝蓋腱を部分断裂してしまい、インジャリー・リザーブへ。復活が不安視されるほどのケガだったが、リハビリはうまく行っているようだ。「リハビリは非常に順調で、次のミニキャンプには参加できると期待している」とシャーマンHC。

今年のドラフトでCBが2人も上位指名されたことは、彼にとっては不利な要素だ。「あまり心配はしていない。自分の能力は知っているし、コーチが僕を高く買ってくれていることも知ってるからね。あとは、フィールドに復帰する時には昨年以上のプレーができるよう、自分のプレーをしっかり勉強して身につけておくだけだよ」とCBジョンソン。

WRカール・フォード。CBジョンソンと同様にキャンプでの評価が高かったが、プレシーズンゲームで内側側副靭帯(MCL)を断裂してしまい、インジャリー・リザーブへ。彼の場合はシーズン半ばにケガが治ったため、その後は体作りに専念した。 「彼は昨年プレーできなかったことで、痩せていた体をしっかり強くし、プレーの勉強をすることもできた。1年休んでこのようなことに専念する機会が持てたことは、若い選手にはとても役に立つと思う」とレイ・シャーマンWRコーチ。

上記のCBジョンソンと違うのは、ドラフトやFAでライバルとなるWRが入団していないこと。そのことからも、フォードの評価が下がっていないことが窺える。 WRフリーマンと再契約する意図はパッカーズにはなく、フリーマンの物だった背番号86は、今ではフォードが着けている。「空いたスポットがあるから、そのチャンスをモノにしたい」とフォード。

DTジェームズ・リー。彼もまたインジャリー・リザーブでルーキーシーズンを過ごした。上記の2人と違うのは、彼の場合はキャンプでの評判が高くなかったことだ。ギルバート・ブラウンの後継者と期待されながら、ろくにプレーできないままキャンプ初日で背中を痛めてダウンしてしまったため、どうにも評価のしようがない、というのが本当のところ。

故郷オレゴンでのトレーニングを選択することもできたが、彼はグリーンベイに残って、コーチの目の届くところでハードワークを続けた。「家に帰るべきじゃないと思ったんだ。"やる気がないようだからカットしよう"なんてことにならないように。だから、オフの間も毎日チーム施設に通って、朝早くから午後までトレーニングした。1年目は、チームを失望させてしまった。フィールドに出て能力を証明したかったが、できなかった。だから、1年目はレッドシャツのつもりで、トレーナーと一緒に頑張った。今は、毎日少しずつでも向上していけるよう、頑張っているところだ。そうすれば、自分がいつでも準備OKだとコーチにわかってもらえるだろうし」

今年のドラフトでDTが2人指名されたことは、チームが彼をアテにしていない、ということの表れとも言える。「できるだけ良い選手を探すのがチームの仕事だ。ドラフトはそのためにある。僕としては、それが集中の妨げにならないようにするだけだよ。彼らルーキーの幸運を祈ってるけど、こちらはそれをモーティベーションにする。僕が試合に出るためには、53人ロースターに残れるように必死で頑張らなきゃ」とリーは語る。ミニキャンプでは巨体に似合わないクイックネスを見せ、「今年こそ戦力になるかも」という期待が少しずつ高まっている。

2004年5月 9日

Packers Family Night

3年ぶりとなる、"'Packers Family Night"が、8月7日にランボーフィールドで開催されることになった。このイベントは、ストレッチングからウォームアップ、各種ドリル、7on7練習、そしてメインイベントの、試合形式に近いスクリメージ練習へと進んでいく。その合い間に、シャーマンHCや主力選手によるQ&Aコーナー、練習終了後には20選手が着たばかりのジャージーがファンに抽選でプレゼントされるという特典もある。最後には花火も用意されている。

チケット料金はわずか$8ドル。駐車場の利益分はチャリティーに寄付されることになっている。例年の観客は5万人前後。地元テレビ局WLUK-TV Fox 11がウィスコンシン州内にテレビ中継する。2001年にはパッカーズ公式サイトによるネットライブ中継も提供されたが、今年がどうなるかは不明だ。

「Family Nightの復活を非常に喜んでいる。ランボーフィールドの工事のために、過去2年はこのイベントを提供することができなかった。ファンは家族ぐるみで、このイベントに合わせてグリーンベイを訪問することができる。過去3回のFamily Nightはたいへん盛況だったし、今回はそれ以上の観客数を予想している」とボブ・ハーラン社長。

RBグリーン 「自分はホールドアウトなどしない」

契約に不満のあるCBマッケンジーがトレード要求をして問題になっているが、実質的にはRBアーマン・グリーンの方がずっと割安なのは間違いない。5年$17.1ミリオンのマッケンジーはプロボウル出場をしたことがなく、トップクラスのCBと呼ぶには無理があるレベル。いっぽう、5年$18.3ミリオンのグリーンは3年連続プロボウラーで、まぎれもなくリーグ最高のRBの1人だ。パッカーズにとっては、ブレーク直前の2001年夏に5年契約を結べたのは最高のヒットだった。

今回のマッケンジー問題にあたって、「もしマッケンジーの無茶な要求を受け入れたりしたら、それを見たグリーンはどんな要求をすることか」と懸念する声が多い。しかしグリーン本人は、自分はそのような手は使わない、と明言する。「僕が契約を結んだ3年前の時点では、あれがフェアな金額だった。そして僕は契約にサインしたんだ。今になってその金額が不満だからといって僕はホールドアウトなどしない。僕はそのようなタイプの人間じゃない」

2004年5月 8日

Sブライアント・ウェストブルックを解雇

アキレス腱断裂からのリハビリを続けているSブライアント・ウェストブルックが解雇された。しかし、パッカーズとしてもこれで終わりというつもりはないようだ。「これでお別れか? 決してそんなことはない。彼は6月のミニキャンプではまだあまり練習できないだろう。その間に、我々は見てみたい選手がいるのだ。ロースター枠が必要でなければ、解雇などしなかった」 とレジー・マッケンジー・プロ人事部長。ウェストブルック本人も、「ぜひここに戻ってきたい。ただ今はケガを完全に治すことに集中したい」

コーナーバックからセーフティへの転向が極めて順調に進んでいた昨年夏のプレシーズンゲームで、彼はキャリア二度目のアキレス腱断裂をしてしまった。スターターの座を脅かすところまで来ていただけに、本人もチームも諦めきれないのは当然のこと。夏のトレーニングキャンプまでに100%の状態に戻れるかは分からないが、二度目の復活を期待したい。

なお、ウェストブルックの解雇で空いたロースター枠を使って、ドラフト外ルーキーのWRクリス・デイ(グランブリング州立大)と契約。WRに加えてDBとKRもプレーしていた選手とのこと。

QBデイモン・ヒュアードがパッカーズ訪問へ

ドルフィンズとペイトリオッツで控えQBを務めてきたQBデイモン・ヒュアード(30歳)が来週パッカーズを訪問することになった。この動きはQBカウチのトレード交渉との関連があるのは明らかで、先週シャーマンHCが使った"プランB"や"プランC"という言葉を裏付けるものだろう。ヒュアードに魅力を感じているというよりも、カウチとの交渉上のカードの可能性が高い。

1999年、QBダン・マリーノの欠場中に5試合先発して4勝1敗の好リリーフを見せたヒュアードだが、ペイトリオッツに移ってからは一度も先発出場の機会はない。通算レーティングは74.3。

2004年5月 7日

CBマッケンジーの代理人が辞任

CBマッケンジーが、代理人のブライアン・パーカーと袂を分かち、新たな代理人を探すことになった。今オフの騒動を通じて、彼は代理人パーカーを通してしか発言していないこともあり、この辞任がパッカーズとの関係にどのような影響を与えるかは不明だ。2年半前に総額$17.1ミリオンの5年契約を結んで以来、CBマッケンジーは代理人を何回も替えていて、パーカーも昨年雇われたばかりだった。

普通は選手の方が代理人を解雇するものだが、今回は、代理人のパーカーの方から辞任した、というのが真相らしい。もしそれが本当なら、マッケンジーがこれまでの強硬な姿勢を変えてくれる見込みは薄いと言わざるをえない。

ブライアン・パーカーは、「マイク・マッケンジーを非常に尊敬している。(辞任の原因は)マイクと私の間のことだ」と表面的には平静を保っており、実際のところがどうだったのか、窺い知ることはできない。パッカーズ側はすでに「パーカーはもう代理人ではない」との通知を受けとっているとのこと。何か動きがあるとしても、新たな代理人が決まってから、ということになるだろう。

2004年5月 6日

DTコーリー・ウィリアムズ

「サイズとスピード、粗削りだが大きな潜在能力がある」などといった、よくあるドラフト下位指名選手の評価記事。6巡指名されたDTコーリー・ウィリアムズもその1人だが、1つだけ大きな違いがある。彼の乗り越えてきた悲しみの大きさだ。極貧の中で育った彼は、15歳で父を肺炎で失い、20歳の時、最愛の母を脳卒中で失った。 さらに、スカウティング・コンバインを目前に控えた今年の2月、ガールフレンドのアンドレアとの間に産まれた娘が、超未熟児のためにわずか数週間でこの世を去った。

「彼がそのような悲劇の中にいたことを、気が付かないスタッフも多かった。彼はいつもと変らず、毎日笑顔でオフィスにやってきていたから」とアーカンソー州立大のケヴィン・ピープルズDLコーチは3ヶ月前のことを振り返る。しかしもちろん、DTウィリアムズの内面は大きく傷つき、コンバインどころではなかった。まだ悲しんでいたかった。「でも、強くならなくては、とガールフレンドに言われたんだ。本当に、本当につらかったけど、両親を亡くした経験があったから、なんとか乗り切る方法はわかっていた。コンバインに行った時は、それをモーティベーションの元にしたんだ」

「彼はお母さんに育てられたから、そのお母さんが亡くなった時には、彼はどれだけ傷ついたことか。先日のドラフト直前の月曜日に彼は、"母の誕生日だからこれから花を買いにいく"と言っていた。お母さんの墓前に花を供えに行くんだ」とピープルズDLコーチ。 「彼はたくさんのことを乗り越えてきたが、"なぜ自分にばかりこんなことが・・・"と言うようなヤツじゃない。毎日そばにいない限り、彼がこれほどのことを経験したとは気が付かないだろう」

「彼は運動能力が極めて高い。ディビジョンIIなら、どこのバスケットボールチームでもプレーできただろう。それは保証する。去年だってケガがなければ、数字はもっとずっとよかったはずだ」とピープルズDLコーチ。「粗削りだが、才能に溢れたアスリートだ。ヴァーサタイルで、インサイドもアウトサイドもプレーできる。なかなか見つかるものではない。どれだけ良い選手になるかは、見守っていくしかない。しかし、もしプロで成功したら、彼の物語は良い話題になることだろうね」とパッカーズのヘイトリー副社長。

「あの年で、あれほどのことを乗り越えるのは大変なことだ。よほどの内面の強さがなければならない。それは間違いなく言えるよ。彼はプロでやっていけるだけの内面的な強さを持ってる。チームを最優先にすることや、責任を負う、といったことを彼は理解している。つらい経験は、プロでやっていくために必要なたくさんのことを、彼に教えてくれると信じている」とプロ人事部長のレジー・マッケンジー。

「いろいろなことがあったけど、僕は何かを心に決めたら、必ずやり遂げる人間だ。成功のためのモーティベーションの元にするよ。フィールドに出たら、その怒りを対戦相手にぶつけるんだ。そうして、良い試合ができたら、少しだけ気分がよくなる。僕は自分の力で必ず両親の夢を実現してみせると、母と父に約束したんだ。もし開幕ロースターに残れたら、それが第一歩になる」

2004年5月 4日

CBマッケンジー問題の早期解決は期待薄か

パッカーズでプレーする意思のないことを明らかにしているCBマイク・マッケンジーだが、パッカーズ側も容易に妥協するつもりのないことを、シャーマンHCが示唆した。マッケンジーが6月のミニキャンプに参加するよう、説得の電話をする必要があると思うか、と聞かれたシャーマンHCは、「いや、そうは思わない」と答え、"ボールは相手の側にある"との認識を表明した。「そう、次のステップがあるとしたら、6月のミニキャンプに参加しに来ることだろうね」

ここで要求に屈してトレードに出したり、昇給に応じるようでは、悪しき先例になりかねない。 「ホールドアウトしたいなら、そうさせておけばよい。そうでないと、例えばRBアーマン・グリーンなど、能力の割りにサラリーの安い選手が続々とこの手を使うことになりかねない」という意見が地元メディアの中でも支配的になっている。すでにチーム側はホールドアウトに備えてCBを2人上位指名。今からトレードを成立させても、貰えるのは来年のドラフト指名権であり、ドラフト前ならともかく、今さら慌てて放出する必要は全くない。

Mini Camp Notebook: 最終日

2004年5月 3日

Mini Camp Notebook: QBノールはいまひとつ

2004年5月 2日

Welcome to the NFL

DTグレイディ・ジャクソンの体重

体重問題を抱える選手はどのチームにも何人ずつかはいるが、パッカーズではDTグレイディ・ジャクソンが横綱格。セインツでは体重問題で首脳陣と衝突を繰り返したあげく解雇され、「怠け者」のレッテルまで貼られてしまっただけに、パッカーズ首脳陣は祈るような気持ちで彼の今オフの体重管理を見守っていた。そして今回、ジャクソンは昨年の入団時より15ポンド軽い355ポンドでキャンプに参加した。

「正直言って、ものすごく嬉しいよ。あのような大きな選手がオフに手術したりすると、動けない時期が長くなるから、どうしても体重オーバーになりやすいんだ」とプロ人事部長のレジー・マッケンジー。ジャクソン本人によると、オフに入ってヒザの関節鏡手術を受けてからは、最高の体でキャンプに参加できるよう、注意深くウォーキングを積み重ねてきたのだという。

「ドリルをやるときでも、彼は猫のようにすばしっこい。しかし、彼はもっと素早く動けるようになる。そうなるためには、もっと体重を絞る必要がある」とフランクリンDLコーチ。昨年12月にジャクソンが結んだ2年契約には体重に関するボーナスの条項もあり、ミニキャンプの時に340ポンドなら$5万ドル、トレーニングキャンプの時に335ポンドなら$5万ドル、開幕戦の時に330ポンドなら$5万ドルとなっている。

2004年5月 1日

Mini Camp Notebook: ピーターソンはダイエット成功

マーク・ヘイトリー副社長が契約延長

2001年、シャーマンHC/GMの補佐役としてパッカーズにやってきたマーク・ヘイトリー副社長。この5月で3年契約が切れるため、1年の契約延長を行った。「マイク(シャーマン)と仕事をするのは気に入っている。ここは今まで働いた中で最高の場所だ。誰もがそう言うが、私はそれを理解していなかった。必要な仕事ができて、あのオーナーやこのオーナーのことを心配せずに済む。そういうのがいちばん大変だからね。マイクは要求のレベルが高いが、フェアで、常に一貫している。こちらは正直に、率直になることができる。彼とは仕事がしやすい」

ヘッドコーチがGMを兼任しているため、パッカーズのフロントは、異例なほどの"トップヘビー"なトロイカ体制を布いている。GMの下にカレッジ・スカウト部長とプロ・スカウト部長がいる、というのが最もシンプルな体制だが、パッカーズの場合、ヘイトリー副社長と、"Personnel Analyst"のジョン・シュナイダーが多忙なシャーマンを助けている。ヘイトリーもシュナイダーも、他チームでGM級のポストを経験済み。普通なら指揮系統が混乱してしまいかねないが、もともとシャーマンはエゴが強くなく自分の能力の限界をよく心得ており、組織の運営に優れている(そこを見込まれてGMを任されたとも言える)。また、ヘイトリーも「皇帝」タイプでなく、グループで仕事をする能力を評価されてパッカーズに招かれた。

これまで非常に円滑に運営され、不協和音が聞こえることなど皆無だったパッカーズ・フロントのトロイカ体制。ヘイトリーが1年の契約延長しかしなかったのはチームへの不満というより、「来年あたり他チームからGM職の声がかからないか」と期待してのことかもしれない。

11人のドラフト外ルーキーと契約

パッカーズは11人のドラフト外ルーキーとの契約を発表した。他にも契約が報じられた選手はいるが、チームからの発表は以下の11人だけ。なお、ドラフト外選手は契約金は貰えないのが普通で、貰えるのは複数チームでの取り合いになった場合。つまりそれだけ前評判が高いということだ。

2004 Packers Rookie Free Agents
Pos. Name College height/weight 備考
QB Scott McBrien Maryland 6-0 / 181lbs 左腕QB。サイズは小さいが判断力に優れる
WR Sam Breeden Northwestern
Oklahoma State
6-3 / 221lbs 最初の2年はアーカンソー大にいた
FB Vonta Leach East Carolina 6-0 / 253lbs 契約金$7,500。大学では2年間LB、2年間FB
TE Keith Willis Virginia Tech 6-5 / 264lbs 2シーズン先発。TEマーティンやCBウィトリーと同じ高校でプレー
OT Jason Hilliard Louisville 6-6 / 340lbs サイズがでかい。4年目にストロングサイドOTの先発に
OG Forest Vance California-Davis 6-5 / 302lbs 大学ではタックルだったがパッカーズではガードの予定
OG Joe Hayes San Jose State 6-5 / 310lbs ウォークオン入学の後で奨学金待遇になり3シーズン先発
OG Atlas Herrion Alabama 6-4 / 304lbs OG、OTの他にDTやDEもプレーした
DE Junior Glymph Carson-Newman 6-3 / 260lbs LBジョシューと同じ大学。昨年は11サック
LB Kevin Jackson Hawaii 6-5 / 229lbs 大学ではDEをプレーしていた
LB Maurice Jones South Florida 6-3 / 245lbs 契約金$15,000。3シーズン先発して通算285タックル