グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2004年5月28日

カーリー・ランボーの生家を発見

グリーンベイ・パッカーズの創立者にして初代ヘッドコーチ、カーリー・ランボーの生家が、熱心なファンの親子の努力によってこのほど発見され、修復されることになった。1868年に建てられたこの家は、パッカーズの歴史にとって重要であるだけでなく、グリーンベイ市にとっても現存する最古の民家の一つであり、大事な歴史の一頁となる。下の写真は、この発見に関する記者会見を水曜日に行ったときの様子だ。(ニュース映像

ケン・ケイルワーツと、17歳の息子ジョンが、今回の発見の功労者だ。昨年の夏、ランボーについての本を読んでいた親子は、ランボーの育った家がケンの職場のすぐ近くだったことを知り、興味を持った。しかし登記所に行って調べてみると、その住所"1205 Cherry Street"は、ランボーが1898年に生まれたときの家ではなく、子供の頃の家だった。彼の出生証明書には住所が記載されていない。そこでグリーンベイ市の公文書を調べていくと、ランボーが生まれた時には、"615 North 12th Street"に住んでいたことが判明した。

ところが、現在のグリーンベイ市には、そのような名前の通りは存在しない。困った2人は、ブラウン郡の図書館員で郷土史家のメアリー・ジェーン・ハーバーの助力を得て、さらに調査を進めていく。そして苦労の末、現在の"Irwin Street"が100年前には"12th Street"と呼ばれていたことを突き止めた。「父と僕は、それがわかるとすぐに、"615 North Irwin Street" に行き、何があるか見てみたんです。すると確かに家があり、本当に古い家だった」と息子ジョンは振り返る。役所に行って調べると、確かにこの二階家は1868年に建てられており、市民名簿から、ランボー家が1898年にここに住んでいたことが確認された。

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しかし、発見した所でこのプロジェクトが終わったわけではない。ケイルワーツ家に加えて、ハナマン、オルソン、ロンクのファミリーが合同で、この家を$90,000ドルで買い取ったのだ。「この家を、建築基準に適合させた上で、現在の位置で保存したい」とルディ・ハナマンは語る。彼らは今後、この家を専門家とともに修復してから売却したいとしている。「この家の外観を修復し、この場所を記念するための額を作る。いずれは、熱心なパッカーズファンか、パッカーズ史に興味のある誰かに売却することを計画している。その利益をどう使うか。そこがこの計画の最良の部分だ。私たちは、グリーンベイの『過去』を、『未来』の助けになるように使うつもりだ」

この家のすぐ向かいに Nicolet小学校がある。彼らグループはこの家の売却益を、この小学校の生徒・教員のための基金にすることを計画している。「この寛大な事業の利益を受けるのに、このNicolet小学校ほどふさわしい学校はないでしょう」とグリーンベイ市の教育長は語っている。

カテゴリ : History