グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2004年3月 5日

Time to say goodbye

先日、ヒザの手術を受けたばかりのDTギルバート・ブラウンが、火曜日の朝に治療を受けていると、シャーマンHCから呼び出しがあった。松葉杖をついて階段を上る彼には、これから何が起きるのか、だいたい予想がついていた。そしてその予想は当たり、シャーマンHCは、LTクリフトンとの契約のこともあり、君を解雇せざるをえない、と告げた。

最初のショックが収まり、シャーマンHCに別れの挨拶をして、自分のトラックに乗り込んだ。ランボーフィールドの駐車場を出たところで、もう一度近くの駐車場に車を停め、デトロイトの母のところに電話をかけた。さりげなく近況を聞いたところで、切り出した。 「ママ、俺はもうパッカーじゃないんだ」  胸が一杯になって、言葉が出なくなった。母は、なんとか慰めようと言葉をかけてくれた。

家に着くと、彼はソファーにへたり込み、ヒザのバンデージを見つめた。パッカーズでのキャリアが終わったのだという現実を、なんとかして受け入れようと悪戦苦闘した。それから24時間がたってインタビューを受けている今も、痛みは容易には消えてくれない。

他のチームとのFA契約について聞かれると、ギルバート・ブラウンは肩をすくめた。「どこか他でプレーするなんて、うんざりするね。僕はグリーン&ゴールドで、93番を背中に着けて育った。僕はここで成長し、男になったんだ。他の場所では、自分にそんなことができるなんて知らずに終わったようなことも、ここで教わった。ウィスコンシンで暮らすことで、僕は別の人間になった。思いやりのある人間に、人の気持ちのわかる人間になった。よき父親に、よき息子になった」

解雇というつらい経験と、グリーンベイでのよき思い出のどちらが大きいか聞かれると、ギルバート・ブラウンは笑みを浮かべ、思い出を語った。「ランボーフィールドだよ・・・。地球上に、あれほど素晴らしい場所は他にない。あそこに足を踏み入れてから、僕は11年間もあそこに出たり入ったりした。どんなにイカれていても、どんなに年をとっても、あそこに足を踏み入れると、必ず髪の毛が逆立つような感じがするんだ。デトロイトを出て、カンザス大に行って、グリーンベイに来て、こんな素晴らしい場所に落ち着くことができた。他とは比べようがない」

1993年のトレーニングキャンプでヴァイキングスから解雇された幸運に、彼は今でも感謝せずにはいられない。デニス・グリーンHCのオフィスで解雇通告を受けて、ホテルの部屋に戻ると、もうすでにパッカーズのホルムグレンHCのアシスタントから、連絡を取るようにとのメッセージが入っていたのだ。電話をすると、もう君はパッカーだと告げられ、いつグリーンベイに来られるかと訊かれた。「僕は"トラックに荷物を積み込んで、あと2分で出発します"って答えたんだ。そしてハイウェイ29号線を、出来る限りぶっ飛ばした。それ以来、あの道が大好きだな」

そうしてグリーンベイに着いた彼のその後の活躍は、ご存知の通りだ。125試合に出場し、優勝も経験した。チームきっての人気者になった。プレーオフに15試合先発出場したのは、チーム史上QBファーヴに次ぐ2番目の記録だ。

体重の問題と度重なるケガのために、将来の健康への不安はあると彼は言う。しかしだからといって何も変えるつもりはない。「体を酷使してきたことの代償を払わなければならないのはわかってる。でも引退後に、自分の成し遂げたことを振り返ってみれば、(健康を害することになっても)それだけの価値はあったと思うだろう。プレーすることで、家族の面倒を見ることができた。優勝リングも手に入れた。20年後に車椅子生活になったとしても、それだけの価値はある。そのような結果になったとしても、僕は嘆き悲しんだりしないだろう。楽しかった思い出をただ振り返るよ」

いつか高校の校長になりたいが、プロレスに顔を出すのも面白そうだとギルバート・ブラウンは笑う。しかし彼が一番望んでいるのは、ファンに感謝の言葉を述べることだ。「引退する時には、ぜひフィールドに出て、 "Bye !" と言いたいと思う。そうできたらいいね。そしてもし少しスピーチでもさせてもらえれば、こんなに名誉なことはない。僕は根に持つような人間じゃない。僕は僕だ。もしパッカーズがそのようなチャンスを与えてくれたら、キャリアのハイライトになることだろう。そのようにしてキャリアを終えるのは、僕にとってこの上なく大事なことなんだ」

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