グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2004年2月29日

ヴィンス・トービンを"Special Assistant"に

シャーマンHCは、ヴィンス・トービンを"Special Assistant"として招聘することを発表した。カーディナルスではヘッドコーチも務めたトービンだが、パッカーズでは「オフェンス・ディフェンス・スペシャルチームの全ての面において、その豊富な知識を活かしてもらう」とシャーマンHCは説明している。「経験豊富なスタッフがもっと欲しいと、ずっと考えていた。昨年にも、もう少しで(彼のような大ベテランに)来てもらうところだった」

ゲーム中の判断に難があると指摘されることの多いシャーマンHCだけに、トービンの重要な役割は、ヘッドコーチ直属のアドバイザーといったことになりそうだ。また、ゲームプランの作成に参画することも期待されており、「翌週の対戦相手の分析を先に進め、週の始めから、正確な情報を選手やコーチに伝えてもらう」とシャーマンHCは説明している。これまでトービンと接点のなかったシャーマンHCだが、今回の人事に際してはマイク・ディトカ(元ベアーズ・セインツHC)に相談し、強力な推薦を得たという。

ヴィンス・トービンは現在60歳。キャリアの多くをディフェンシブ・コーディネーターとして過ごしてきた大ベテランだ。ミズーリ大でDBとしてプレーしたあと、その母校で1965年に、ダン・デヴァインHC(のちにパッカーズのHCになる)の下でコーチのキャリアを始めた。ミズーリ大で11年間過ごした後は、CFLのブリティッシュ・コロンビアで6年間、USFLのフィラデルフィア/ボルティモアではジム・モーラHCの下で、3年間DCを務めた。

1986年にはベアーズのDCとなり、バディ・ライアンDCの築いた強力ディフェンスを引き継いで、非常に優れた成績を残した。ディトカHCが心臓発作で倒れた時には、ヘッドコーチ代行として2連勝したこともある。1994年にはコルツのDCとなり、彼のディフェンスは1995年にAFC決勝に進出する原動力となった。1996年から2000年はカーディナルスでヘッドコーチ。通算30勝52敗ながら、1998年のプレーオフでは、チームにとって51年ぶりの勝利を挙げた。ヘッドコーチを辞任した2001年にはライオンズのDCに就任するが、1年で辞任。この2年間はアリゾナで充電期間を過ごしていた。

「確かに引退してしまってもよかったが、この契約は私にとってもパッカーズにとってもよいことだと思う。自分はまだまだやれると思っているし、あと数年はコーチを続けたい」とトービンは語っている。 彼自身、カーディナルスのHC時代には、経験豊富な補佐がそばにいれば、と思ったことがあるという。「時にはヘッドコーチには相談相手が必要なものだ。ポジション・コーチというものは、自分の担当する選手を守ろうとして率直になれない傾向がある。だから、特定のポジションを担当しないコーチがいる、というのは助けになると思う」

カテゴリ : Coach/Front Office