グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2004年2月21日

リー・レメルが"Team Historian"に

最初は記者、そして長らくパッカーズ広報部長をつとめ、パッカーズ史の生き字引として尊敬されてきたリー・レメル Lee Remmel が、このほど正式に"Team Historian"(歴史家)に任命された。もちろん新設のポストだ。79歳の彼は、広報部門の実務に関しては一線を退き、彼の最も得意とするパッカーズ史の語り部として、チームの顔としての役割を続けていく。今後はパッカーズ公式サイトでのコラムや、自分とパッカーズに関する本を執筆の予定。

引退を考えていたレメルに、負担が少なく、しかも彼の能力を最も活かせる形をハーラン社長が考えた、ということのようだ。「このような機会をくれたハーラン社長に感謝したい。チーム史については、これまでにも十分仕事をしてきた。今回のことは、その仕事に明確な肩書きを与えたということだ」とレメル。ハーラン社長は、「彼は長きにわたってチームにとって欠くことのできない存在だった。チーム職員としてもPress-Gazette紙の記者としても」

NFLコミッショナーのポール・タグリアブーは2002年の慈善イベントの際に、「パッカーズに関する彼の莫大な知識は、チームにとっても、リーグにとっても非常に大きな価値がある。パッカーズはNFLの伝統の重要な一部であり、そのチームを代表するのにレメルほどふさわしい人物はいない」と功績を讃えた。

1922年に地元ウィスコンシン州シャワノで生まれたリー・レメルは、Green Bay Press-Gazette紙の記者として、1945年から29年間にわたって活躍。1945年のライオンズ戦、ドン・ハトソンが第2Qだけで29得点(いまでもNFL記録)した伝説の試合でも記事を書いた。1967年にはウィスコンシンの"Sports Writer of the Year"にも選ばれている。

1974年にパッカーズの広報部長となり、その後30年間にわたってチームに直接貢献してきた。59年間にわたるキャリアの中で、初代カーリー・ランボーから13人の歴代ヘッドコーチ全員と関わった。1967年以後、パッカーズ戦に参加できなかったのはただ一度、父の葬儀の時だけ。1996年にはパッカーズの殿堂入りを果たした。2003年には、彼の功績を讃えて新ランボーフィールドのプレス・ボックス席が"'Lee Remmel Press Box"と名づけられた。

彼はまた、38回全てのスーパーボウルで仕事をしてきた12人のうちの1人でもある。8回は記者として、28回はNFLの臨時のメディア担当スタッフとして、2回はスーパーボウルに出場したパッカーズの広報部長としてだ。

"Team Historian"という役職は、レメルの知る限りNFLではパッカーズが初めてとのこと。「私が史上初ということなら、これは嬉しいね」

JS Online(の有料ページ)で歴史コーナーを担当する大ベテランのCliff Christl でさえも、分からないことがあったらレメルに聞いてみる、というスタンスを取るほどです。

カテゴリ : History, Team/Organization