グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2003年11月27日

Lombardi: A Game Played in Silence

"Congratulations on a great game today. It was a fine victory for a great coach, a great team, and a great town."

ヴィンス・ロンバルディHCのオフィスの壁には、'61年にNFLチャンピオンになった時の、ケネディ大統領からの祝電が、誇らしげに飾られてあった。そのオフィスで、次のゲームの準備をしていたロンバルディの元に、「大統領が暗殺された」という悲報が飛び込んできたのは1963年11月22日金曜日のことだ。

ミーティングを終えて帰途についていた選手たちが、このニュースを聞いてヘッドコーチの元に戻ってきた。打ちひしがれたロンバルディは選手たちに向かって話をし終えると、2マイルほど離れた聖ウィルブロード教会へ向かい、その午後はそこで祈って過ごした。1960年、若き大統領候補と気鋭のヘッドコーチが出会ったのは、その聖ウィルブロード教会でのことだったのだ。

出会って以来、2人は友情で結ばれるようになっていた。アイルランド系のジョン・F・ケネディが、カトリックでは初めて大統領に選ばれたことを、同じくカトリック(イタリア系なので当然だ)のロンバルディが大喜びしたことは言うまでもない。ケネディは、ホワイトハウスの私用の電話番号をロンバルディに教え、時おり2人で話しこむこともあった。陸軍予備役だったスターHBポール・ホーナングが召集された時、彼がNFL決勝でプレーできるよう、大統領が取りはからったというエピソードもある。

「このような悲劇の中でもプレーを続けるのがスポーツの伝統だ」というピート・ロゼール・コミッショナーの決断で、2日後のNFLのゲームは予定通り行われることになった (しかしロゼールはこの決定を生涯悔やんでいたという)。国じゅうが悲しみに沈むなか、パッカーズは試合の行われるミルウォーキーへの列車に乗り込んだ。なんとかフットボールに集中しようとするロンバルディは、列車の中でコーチを集め、翌春のドラフトについて話し合った。

そして49ers戦。テレビ中継はなく、先発選手の紹介もなし。ハーフタイムのバンド演奏もなく、この日流れた音楽は国歌だけだった。DEウィリー・デイヴィスは、「チーム全体に元気がなかった。自分にとってもキャリア最悪の出来だった」と振り返っている。しかしそれでも、パッカーズは最下位の49ersに対して28-10で勝利を収めた。

精彩を欠いた試合内容にもかかわらず、この日のロンバルディは試合後にひとことも言葉を発しなかった。不甲斐ない選手たちに説教することも、無気力なプレーぶりを叱責することもなかった。

あの祝勝電報と、大統領とともに招待された'62年のミルウォーキーでの晩餐会のプログラムが、大事な形見となった。そしてロンバルディは、あの日教会で捧げた祈りのカードを聖書にはさみ、生涯手放すことはなかったという。

カテゴリ : History