グリーンベイ・パッカーズ ニュース
2002年6月11日
Wisconsin State Journal に掲載されたWRアントニオ・フリーマンのロング・インタビュー。あまりに言いたい放題な内容に、少しは彼に未練を残していた地元のファンたちも激怒しているようだ。自分が$42ミリオンの男だということを棚に上げ、この3年活躍できなかったのはすべてはシャーマンHCが悪い、と言いたいらしい。あまりの馬鹿さ加減に筆者も訳す気になれないが、せめて要約だけ。
- 75%ものペイカットを要求されるのは侮辱である。いったん受け入れたら、次の年も同じことの繰り返しになる。だから自分は受け入れなかったのである。
- 1999年に大型契約してから自分の数字が下がったのは、慢心したからではない。ホルムグレンHCが去ってシャーマンHCが来て、オフェンスのフィロソフィーが変わったために自分に投げられる数が減ったためである。
- チュムラやロバート・ブルックスがいなくなったために自分がフリーになれなくなり、数字が落ちたことは仕方のないことである。
- テリー・グレンとは一緒にプレーしたかったのである。グレンやシャーパーたちが5月末にフロリダの自宅にまで来てくれて、チームに残るよう説得してくれた。しかしチームは自分よりもファーガソンやウォーカーをプレーさせることを優先している。だから自分は去るのである。
- NFL-Northでプレーしたい(この時点ではMINはアレクサンダーと契約していなかった)。そうでなければ、ホルムグレンの元でプレーできたら最高である。シャーマンHCとの関係に比べて、ホルムグレンとの関係は素晴らしかった。