グリーンベイ・パッカーズ ニュース

2002年5月15日

あるスカウトの生活

Lenny McGill1996年夏、控えCBのレニー・マクギル Lenny McGill がアトランタにトレードされた時、グリーンベイでのキャリアは終わった、と当然彼は思った。しかし事務所で最後の小切手を受け取って帰ろうとした時に、彼は当時のホルムグレンHCと出くわした。意外なことにホルムグレンは彼に「引退したらポストを与える用意があるから連絡を取り続けるように」と告げたのだ。普段から、試合前にマクギルが相手WRについて書く詳細なレポートは、コーチたちに高く評価されていたからだ。

そしてホルムグレンはすでシアトルに去っていたものの、 98年いっぱいで引退したマクギルにやはりグリーンベイから声がかかった。99年には、40人の大学選手についてのレポートを書かされ、それが評価されて2000年2月からパッカーズのカレッジ・スカウトに正式採用されたのだ。

現在、彼が担当するのは中北部の10州 41大学。「大学に行って、選手たちを見て、彼らがパッカーズにどうフィットするかを考えるのは本当に楽しい仕事だよ。大きな大学に出かけて、有名選手が評判どおりかチェックするのもいいが、マイナーな大学で"茂みの中のダイヤモンド"を探すのも面白い」とマクギル。

シーズン中は基本的に、月曜から金曜は各大学を回って選手を見たり、それをビデオに収める。土曜日は当然、大学の試合を見る。そして、よほど運が良ければ、ウィスコンシンの自宅に帰って日曜日のパッカーズ戦が見られる。しかし数千人の大学選手をチェックする彼に、そんな余裕は滅多にない。

去年、マクギルがパッカーズ戦を生で観戦できたのはたった4回だという。それ以外は、ホテルの部屋で、スポーツバーで、叫び声を挙げながらの応援になる。「自分とこの選手のプレーも見られないっていうのはちょっと奇妙な感じはするけどね」

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マクギルはシーズンの間、およそ500人もの大学選手のレポートを書く。シーズンが終わるとグリーンベイに戻ってそのレポートを完成させ、副GMのマーク・ヘイトリーとカレッジ・スカウト部長のジョン・ドーシーに提出する。それが済むと2月末のスカウティング・コンバインまではオフとなる。

本番のドラフト会議自体は、スカウトにとっては決してクライマックスではない、とマクギルは言う。「我々にとってはドラフト指名は神経が参るようなことではないんだ。そこまでに全ての仕事は終わっていて、あとは自分のレポートを信じるだけだからね」

現在30歳のマクギルの望みは、やはりパッカーズ内で出世すること。「今後5年のうちに実績を挙げて、プレーヤーの評価に関して良い仕事をした、とこの世界で認められることだね。そしてどんなポストでもいいから人事部門でチャンスをつかむこと。でも今のところは、グリーンベイを優勝候補にする手助けができればいいと思う」

優勝候補・・・そう、現役時代のマクギルが96年夏にグリーンベイを去った時、パッカーズは紛れもなく優勝候補だった。ドラフト外ルーキーとして94年にパッカーズ入りした彼は、2年間ダイムバックとしてチームに貢献した。しかし97年1月、パッカーズがついにスーパーボウルを制覇した時、彼はファルコンズのユニフォームを着ていたのだ。

「気持ちは複雑だった。先発のチャンスがもらえるトレードだったから嬉しかったけど、古巣がついに優勝するのをただ見守るしかなかったんだから。前の年、NFC決勝でダラスに負けた時のロッカールームの雰囲気は、『来年、誰がプレーすることになろうと、俺たちは必ずスーパーボウルに行くぞ』というものだった。だからアトランタで見ていた僕も本当に嬉しかったよ。でも心の一部では『なんてこった。"特別なチーム"になるって事はわかってたのに』って思った」

だからこそ、今のマクギルの目標は、パッカーズが"特別なチーム"になる手助けをすることなのだ。今年のドラフトが成功に終われば、それも夢ではない。「前回、僕は選手としてのチャンスを逃した。だから今度はスカウトとしてスーパーボウル・リングを手に入れるんだ」

カテゴリ : Coach/Front Office