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"ダヴィデとゴリアテ"

運営資金の心配の少なくなったパッカーズは、それまでと比べ、より優れた選手と契約できるようになりました。1924年には、ネブラスカ大のRB、Verne Lewellen と契約。ウィスコンシン以外から、大学のスター選手を獲得したのは、これが初めてのことでした。カーリー・ランボー自身、優れた選手ではありましたが、それ以上に、才能を発掘し獲得することに長けたヘッドコーチ兼GMでありました。

1927年にはリーグ2位という好成績を収め、有力チームとして頭角を現してきたパッカーズ。全米の注目を集めるようになったのは、1928年のニューヨーク遠征がきっかけだったと言われています。試合前にニューヨークのメディアから、ウィスコンシンの田舎者と笑われた選手たちは、ポロ・グラウンドに集まった12,000人の観衆の前で、前年のチャンピオン、NYジャイアンツを相手に、7-0の完封勝ちを収めたのです。このころから、小さなグリーンベイの選手たちが大都会のチームに立ち向かう姿が、旧約聖書の「ダヴィデとゴリアテ」の物語に例えられるようになります。

この1928年シーズンの最終戦から、グリーンベイ・パッカーズはなんと22連勝を3年がかりで達成することになります。最初の黄金期の始まりです。

1927年 応援のブラスバンド 1928年の試合風景

初のNFL制覇

世界恐慌の始まった1929年、グリーンベイ・パッカーズは記念すべき初優勝を成し遂げます。積極的な選手補強が実を結び、また前年にニューヨーク・ヤンキースが資金難から解散に追い込まれたため、そちらから3人の選手を加えることもできました。終わってみれば12勝0敗1分け。今でも「NFL史上、無敗のチャンピオンは'72年のドルフィンズだけではない」とパッカーズファンが主張する、そんな素晴らしいシーズンでした。

この年のメンバーから、ランボー本人、Cal HubbardMike MichalskeJohnny (Blood) McNally の3人は、のちに殿堂入りすることになります。それ以外にも Red DunnBo MolendaJug EarpBill KernLavvie DilwegTom NashVerne LewellenBernard "Boob" Darling など豪華な顔ぶれを揃え、パッカーズは圧倒的な力を発揮します。

この時期、すでにシカゴ・ベアーズとのライバル意識は激しいものになりつつありましたが、そのベアーズに3試合全て完封勝ちを収めたことも、グリーンベイの人々にとっては痛快な出来事でした。優勝を決めてシカゴから列車で凱旋する時、グリーンベイの手前5マイル以上にわたってファンが線路沿いに列をなし、選手たちを歓呼の声で迎えた、というエピソードが残っています。

三連覇

1929年にNFL初制覇をなしとげたパッカーズですが、カーリー・ランボーは手を緩めることなく、積極的な選手補強を続けます。ランボー自身も1929年シーズン終了後に現役を引退し、ヘッドコーチ/GMに専念。後進に道を譲ることになりました。なお、この時代、12、3人の中心選手は、60分のほとんどを出ずっぱりで戦っていました。そのためか、この時代のことをパッカーズ公式サイトでは"The Iron Man Era" と称しています。

1930年は10勝3敗1分けで二連覇、翌1931年も12勝2敗の成績で三連覇を達成します。この時期はまだプレーオフというものは行われておらず、レギュラーシーズンの成績だけで順位が決められていました。東西の2ディヴィジョンに分かれ、その優勝チーム同士でチャンピオンシップを戦うようになるのは、1933年シーズンからのことです。

Johnny "Blood" McNally
NFL史上に残る伊達男かつ天才ハーフバック
Cub Buck
攻守ラインで大活躍した大型選手

1926年には22チームが参加していたNFLですが、しだいに淘汰が進み、また大恐慌の影響もあってか、チーム数が減少していきます。三連覇の1931年には10チーム、翌1932年には8チームまで落ち込んでしまっています。ふと気がつくと、グリーンベイの他には、ほとんど大都市のチームばかりになっていました。

NYG戦 のポスター
チケットは1ドル〜2ドル
1930年のポスター
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