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ウィスコンシンの思い出 8

8月23日朝。事の展開が早すぎるのが気になったが、シリアル2種類目を平らげ、自宅前のスクールバスにオヤジと乗りこんだ。オヤジは、FairchildからOsseoに通う高校生のスクールバスの運転手だったお影で、乗り遅れたことはなかった。寝坊しても、バスの運転手が待っててくれるのだから。

バスは、村を一巡して、高校生の乗せてOsseoに向かった。グレッグは、自家用車通学だったので、そのバスにはいなかった。学校に到着して、まずは廊下の脇に設置されているロッカーのあたりで、グレッグを見つける。ともかく、彼から離れなかった。そのうちに、同級生がグレッグのまわりに集まりだした。グレッグがボクを皆に紹介してくれる。

館内放送で、「体育館に集まるように!」と言っているようだ。やはり、そうだった。結構、英語わかるじゃないか!と思った。グレッグらにくっついて、体育館に入る。アメリカの高校などの体育館では、壁に引き出し式客席がある。必要なときは、これを引っ張り出すと、階段式の客席になるのだ。グレッグとその一団は、この階段客席の上の方に陣取った。どこの始業式も同じだ。校長が、マイクで何か話出した。エコーがかかっていることもあって、何を言っているのか、まったく分からなかった。

そのスピーチの終わり頃、「ジャパン」とか「エクスチェンジ・スチューデント(交換留学生)」とかが聞き取れた。おっ?オレを紹介しているな?とトッサに気が付く。そして、オレの名前を言ってるではないか! こういう場面、アメリカの映画なんかでは、かならず、立ち上がって手を降るんだよな? と頭を瞬時にかすめた。しゃーない、立って手を降ろうと、立ちあがりつつ、手を降ったら、バランスが崩れて、階段客席でを2,3段転げてしまった。 受けた!また、受けた!爆笑の渦だ。サンフランシスコから2日目に、Wisconsinでも受けたわけだ。こうして、高校生活が始まった。

アメリカに高校は、3学年制と4学年制とがある。田舎は4学年制が多い。Osseo-Fairchild高校も4学年制だった。1年生は「フレッシュマン」、2年生は「ソフォモアー」、3年生は「ジュニア」、4年生は「シニア」とそれぞれ言う。また、卒業年度で、学年を表現することもある。私の場合、1974年卒業なので、クラス・オブ・74という。この場合のクラスとは、学年という意味になる。

そして、各学年ごとに会合となった。我々シニアは、音楽教室に集まった。学年ごとに、役員を決めるのだ。まず、会長には、アラーナ・スコイヤン嬢が、選挙で選出された。選挙といっても、推薦された学生が、音楽教室の外に出て、挙手で決める程度なのだが。アラーナが、会長として、他の役員の選出を仕切りだす。最後の役職が「評議委員長」だった。そこで、ボクが推薦された。推薦された他の2名とともに、教室の外に出た。しばらくすると、アラーナが我々教室に入るようにと言う。そこで、選挙の結果が言い渡される。で、ボクが評議委員長となった。拍手喝采! 「一体、何をしろというのか?}と、隣にいたラルフ・マイヤーに尋ねたら、「卒業アルバムに写真が1枚増えるだけだ」と、なかなか洒落た回答を返した。実際、卒業アルバムには、各学年の評議委員長の写真がある。

留学生は、「卒業アルバム委員」になるとの事で、1日で2つの役職につくことになった。数日前まで、仮合格かどうか心配していたのに、・・・ウソみたいな展開である。

アラーナは背の高い、メガネをかけた知的な女の子だった。チアリーダーのキャプテンでもあった。ラルフは、結局、一番の親友となった。フットボールのワイドレシーバーで、チームのエースレシーバーの一人。試合前に、突然、居なくなる。彼は、必ずトイレに駆け込んて、大便をするというクセ(?)があった。どうも緊張すると「大」を催すようだ。1996年秋に、ラルフと再会した。彼が「今度、結婚する」と教えてくれた。お相手も紹介してくれた。ボクは、ラルフの耳元で、「結婚式の直前に、やっぱ、トイレに入るんだろーね?」と冗談を言うと、「たぶん」と笑いながら、答えていた。その時、ラルフから、アラーナは未婚の母になったと聞いたが、彼女とは会えなかった。

updated : 2003/8/3


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