2006年2月24日
マイク・シャーマン時代を総括
ちょっと文章が長くなるが、6年間続いたマーク・シャーマンHC時代のパッカーズを自分なりに振り返ってみようと思う。私はどちらかというとシャーマン擁護派だったので点は甘くなるけれど。
1998年いっぱいでホルムグレンHCが去り、レイ・ローズHCの下でチームのタガは完全に緩んでしまった。1998年に1,424ydsでオールプロとなったWRフリーマンは、翌年夏に$42ミリオンの巨額契約を手にしたとたんにスピードもキレも失い、並の1000ydsレシーバーになった。RBレヴェンズはかつての酷使がたたってか、ケガがちになり始めていた。ディフェンスではDEレジー・ホワイトが去り、Sバトラーも衰えを見せ始めていた。
わずか1年でチームはガタガタ、特に規律の低下が著しいことを見て取ったロン・ウルフGMは、シーズン終了直後にレイ・ローズHCを解任した。8勝8敗のコーチを1年で解任というのは尋常な人事ではないが、「このままではどんどんひどくなる」という危機感をよほど強く感じたのだろう。ローズを選んだことはウルフの最大の失敗だが、そういった時に自分の面子にこだわらず、あっさり失敗を認めてやり直すのが彼の美点でもある。
パッカーズというと「ホルムグレン時代の遺産」という言い方をされることもあるが、上記のような事情により、じっさい遺産と言えるのはQBブレット・ファーヴぐらいのもので、負の遺産の方が多くなっていた。
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後任に選ばれたマイク・シャーマンは、シーホークスのオフェンシブコーディネーターとはいっても(ホルムグレン自身がコールを出すので)プレーコーラーとしての実績があるわけではなく、マリウッチやグルーデンのような快活で人当たりのよい魅力があるわけでもない。教師タイプで、物事を一つ一つを堅実に進めていくコーチだ。不器用で時に堅苦しいほど真面目だが、長く付き合ううちに良さが分かるような人なのだろう。
OLコーチ出身だからか、最も大きな成果を上げたのはOLの立て直しによるランオフェンスの強化だった。左タックル不在、ケガがちなRTアール・ドットソン、Cウィンタースの衰えでガタガタになっていたが、RGリヴェラを除く先発4人が2年のうちに入れ替わった。幸運なトレードでRBアーマン・グリーンを手に入れたことも大きかったが、OLが強化できたからこそあそこまでランが強くなったのだろう。2001年から4年間は先発5人が全員残留したのも強みだった。
WR陣の再建はフリーマンの巨額契約に足を引っ張られて時間がかかったが、WRドライバーの着実な成長とWRウォーカー指名の成功で、2003年の後半になってようやく大きな成果が出た。ディープスレット不在のそれまでは、ロングボムと言えば「見せ球」のようなオーバースロー気味のものばかりだったが、ジャンプボールに滅法強いウォーカーの台頭によって、オフェンスの破壊力が格段に増した。
いっぽうディフェンスは、全般にタレントレベルが低くプレイメーカー不足に苦しんだ。2001年にはDEバジャ=ビアミラが急成長したが、エヴリダウンプレーヤーとしては物足りない。DEヴォニー・ホリデイはケガが多く、特に胸筋を断裂してからは元の力を取り戻せないまま移籍。6年で唯一の高額FA選手だった2002年のDEジョー・ジョンソン獲得は大失敗に終わった。Sダレン・シャーパーはSバトラーが健在だった時期がベストで、相棒が頼りなくなると彼の良さが発揮されない。安定して高いレベルでプレーしたのはCBマイク・マッケンジーだが、移籍してきたCBアル・ハリスとコンビを組めたのはわずか1年だけだった。
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2001年、2002年と12勝を挙げたものの、実際にチーム力がピークに達したのが2003年(10勝6敗)の後半だったことは、ほぼ異論のないところではないだろうか。最終戦でミネソタが大逆転負けしたためにプレーオフに進出できたが、スーパーボウルを狙える力があったのはこの年ぐらいだ。シーズン序盤にケガ人が続出し、中盤にはファーヴの親指にヒビが入るなど苦しんだため6敗したが、絶好調でプレーオフを迎えることができた。
成熟しきったOL陣と絶好調のRBグリーンでチームとして2,558ydsラッシング、それにWRウォーカーへのロングパスを武器に、どんな相手からでも点が取れる攻撃力があった。ディフェンスは決してよくなかったが、シーズン半ばにDTグレイディ・ジャクソンが加入してかなり安定感が出た。そうして迎えたイーグルスとのディビジョナル・プレーオフ、あの4thダウン26を守れずに勝ちを逃したのは球団史上に残る痛恨事だった。
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さて、マイク・シャーマンをヘッドコーチに選んでわずか1年、2001年のドラフトを最後にロン・ウルフGMが引退することになり、9勝7敗でプレーオフを逃したばかりのシャーマンにGMを兼任させるハメになった。この人事はウルフよりもボブ・ハーラン社長の意向が大きかったらしい。経験には乏しくても、周りのスタッフをまとめていく能力を買ったのだろう。
結果的には、GM兼任はやはり荷が重かったと言わざるをえない。唯一の大きな買い物だったDEジョー・ジョンソン獲得が大失敗に終わり、サラリーキャップ的にはさらにキツくなった。ドラフトでも、積極的にトレードアップ(つまり指名数を減らす)する癖が裏目に出て特に下位指名での成功が少なく、選手層を厚くすることができなかった。DEジャマール・レイノルズなど2001年ドラフトの失敗がのちのちまで尾を引き、ウルフの最悪の置き土産となったのは気の毒だったが。
最大の成功はWRジャヴォン・ウォーカーをトレードアップして1巡20位指名したこと、それにCBアル・ハリスをトレードで獲得したことだろう。また、シャーマンがGMをしている間は12勝、12勝、10勝、10勝と全てプレーオフに進んだことを考えると、ケミストリー重視のチーム作りをGM兼任のシステムが後押しした面もないとは言えない。以前にも書いたように、チームの意思が統一しやすい仕組みだからだ。
CBマッケンジーのように「どうしてもイヤ」と言って出て行った選手もいるが、これは今時どのチームにもあることで、全員を満足させることなどできないのがサラリーキャップ制なのだ。全般的には、選手とフロントの関係は(NFLの平均よりも)良好だった。
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もう一度ヘッドコーチとしてのシャーマンの話に戻ると、強みはやはりケミストリー面だろう。ファーヴを始めとしたベテランのリーダーシップを最大限に活かし、まとまりのよいチームを毎年作ったと思う。もう一つの彼の強みである粘り強さも、1勝4敗などの劣勢から盛り返す戦いぶりに表れていた。
弱みはいろいろあるが、まず第一はゲームデイのコーチング。フィールドに選手を送り出すまでは申しぶんなくても、試合の流れの中での柔軟な采配が苦手だったように思う。容貌というか表情が頼りなげで、そういった印象を増幅したのかもしれないが。勝負勘については、考え過ぎて慎重になった時より、多少アタマに血が上って勢いで勝負した時の方がうまく行くことが多かったような気もする。
コーチング以上に拙かったのがコーディネーター選びだろう。OCは、昔からの友人トム・ロスリーを最後まで切ることができなかった。ハーフタイムのアジャストメントを含め、柔軟さに欠ける采配はロスリーの問題なのかもしれない。それでもOCならオフェンス出身のシャーマン自身が補えるが、致命的だったのはDC選びだ。
経験や人脈の少ない新任ヘッドコーチには選択肢が少ないという事情もあるだろうが、最初に選んだエド・ドナテルDCはけっきょく平凡なレベルで、6年のうち4年を過ごしてしまった。4thダウン26の責任を取らせて解任したのはいいが、代わりに昇格させたのがボブ・スロウィックで、これがまた滅多にないような低レベル。シーズン中に方針が二転三転したものだから、若手DBたちは混乱しきってしまった。ようやく一流のジム・ベイツを呼んだのが2005年で、期待以上の数字を残してくれたが、オフェンスの大不振を補うことはできなかった。せめてベイツがあと1年か2年早く来てくれていたら、プレーオフでもう一段上を狙えたことだろう。
コーディネーターが悪いといっても結局は選んだヘッドコーチの責任であり、選手に温情をかけ過ぎるGMとしての弱さが、ここでも、冷徹になれず忠実な部下を切れない弱さとして表れていたように思う。
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ヴィンス・ロンバルディHCが1967年限りで辞任した後、QBバート・スター(多くの主力も)は4年間プレーしたが、勝ち越すことさえ一度もできなかった。主力選手が老化したこともあるが、当時の最大の敗因は規律面の低下だと言われている。いちど緩んだタガを締め直すのは容易ではないし、いくらファーヴがすごかろうと、彼の存在だけで毎年プレーオフに行けるほどNFLは甘くない。
そうしてみるとマイク・シャーマンは落ち目のチームをよく立て直したと思う。もちろん物足りない面も多々あった。もう一段上を狙えたのにと悔やまれる点は、上で挙げたようにいくつもある。それでも、惜しいところまで行くのにはそれだけの力がなければならないし、総合力で彼より優れたコーチがそうたくさんいるとは思えない。
われわれファンというのは単純な二分法が好きなもので「優勝以外は全てダメ」という方向に向かいがちだが、私の価値観では、6年で4回プレーオフに出たコーチはじゅうぶん良いコーチだ。悔しい思いもしたけれど、嬉しいことも多かった。プレーオフではもっと勝ちたかったけれど、毎年プレーオフを楽しめたのはありがたかった。通してみれば、なかなか悪くない6年だったと私は思う。
投稿者 nagoyapackerbacker : 00:00

