2002年5月27日

タラレバ

タラレバ。もしくはレバタラ。どちらでもいいらしい。

「タラレバは言ってはいけない」などということは、いったい誰が言い出したのだろう。たぶん野球解説者ではないかという気がする。確かに、実際にプレーしている選手やコーチが言うべきでない、というのはわからなくもない。過去は変えられないのだし、現場にいる選手たちが、過ぎたことをいちいち振り返っていては仕事にならない。また、見苦しい言い訳をするな、という意味もあるのだろう。

しかし、引退した野球解説者まで毎回のように「タラレバは言ってはいけないのですが」と前置きをするのは馬鹿げていると思う。現役選手の立場を理解するのは大事なことだが、全く同じことを考えていたら解説にならないし、記事も書けない。第一、タラレバがなければ、スポーツ評論などと言うもの自体が成り立たなくなってしまうではないか。

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高校の頃、「ややこしい仮定法なんて勉強しても、実際の日常生活では滅多に使わねえよ」という話を聞いたことがあって「そんなものか」と思いつつ英語を勉強したのを思い出す。しかし、フットボール関連の英文を毎日読んでいると、仮定法がしょっちゅう出てきて、勉強しておいて本当に良かったと思う。仮定法が理解できていなければ、まるでチンプンカンプンだったであろう文章が本当に多いのだ。(←あっ、この文も仮定法だ)

仮定法すなわちタラレバなのだが、スポーツ評論の分野では、仮定法はむしろ必要不可欠だと思う。「あそこでランプレーを選択して時間を使っておけば・・・」というヘッドコーチの采配に関するものや、「去年のオフに控えラインマンを補強しておけば」という人事面のもの。仮定法がなければ、記者や解説者の商売は完全に上がったりだ。

あちらのスポーツ記者は結構はっきりと意見を主張するから、「ほら言わんこっちゃない」というニュアンスで、低迷するチームの批判をする。批判される側は、「そんな結果論で責めるなんて無責任な」と腹立たしく思うところだろうが、記者の言い分は「いや、結果論ではない。俺はすでに去年の時点から『こうすべきだ』と主張していた。彼らの責任は明らかだ」と主張することだろう。アメリカは記名記事が基本なだけに、個人的な対立関係に発展することさえあるようで、見ている方は面白い。

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もちろん我々ファンにとっても、仮定の話は欠かせない。「あそこでFGを選択していれば」「あのファンブルが認められていれば」など試合展開や審判の判定に関するものから、「もし去年のドラフトで○○を指名していれば」とか「△△をトレードに出さなければ」といった人事に関するものまで、想像は無限に広がっていく。コーチや記者と違って、こちらは気楽に楽しめて良い。

今オフで言えば、「スティーラーズがあそこでペイトリオッツにFGをブロックされていなければ」とか、「スーパーボウルの最後で、ラムズが同点TDを挙げるのにもう少し時間を使っていれば」「QBワーナーが指を痛めてなければ」などと想像する人は多いだろう。

パッカーズファンの私としては、「ドラフト2巡でWRクリス・チェンバースを指名していれば」「ベアーズの神がかり的な連勝がなければ」といった感じ。ただし、プレーオフでのラムズ戦の敗戦については、あれほど大差がついてしまっては、一つや二つ違ったプレー選択をしてたところで、試合結果が変わるとまではさすがに想像できない。それでも「バトラーのケガがなければ、もっとやれたはず」などと考えるのは、多少の慰めにはなる。

因果なことに、我々が愛してしまったのは、オフが7ヶ月もあるスポーツなのだ。仮定の話でもしないことには、退屈で退屈でやっていられない。9月の開幕まであと100日と少し。トレーニングキャンプ開始まであと60日。それまではせいぜい想像の羽を広げて、せめてもの退屈しのぎをすることにしよう。

投稿者 nagoyapackerbacker : 00:00